SSブログ

子どもの頃の夢 Part 2「ジムホールとジャズギターな僕」 [日々着眼時々思案]



今年は、僕の人生で重要な人が亡くなった年でした。

知人では恩人であった滝澤謙治さん。あの人の追悼ライブ終わったら何か今年の仕事が終わっちゃった気がするくらいでした。

そして、知人ではないけど、僕にとって「ジャズギターの父」であったジムホールさん。僕だけでなく、コンテンポラリージャズギタリスト皆彼の息子です。僕の心の師匠ジョンスコフィールドさんやパットメセニーさん、ビルフリゼールさんは「ジャズギターの兄」なわけです。

ジムホールさんは昨年来日ライブの他数回ライブは観ています。来年1月にライブが予定されていたロンカーターさんとのデュオは昔のブルーノートで観ました。ビックリしたのはその音量の小ささ。まるでレッスンやってるときくらいの音量(あるいはそれ以下)だったから、それこそグラスをテーブルに置くのも慎重に、みたいなライブでしたね。緊張感バリバリ、でも本人たちはリラックスみたいな理想的な音の会話がそこにありました。また行きたかったのにな…。

前回の続きで、中学時代にタイムワープします。

僕がジャズギターに興味を持ったのは、アルヴィンリーというテンイヤーズアフターのギタリストが最初。速弾きギタリストと言われてたけど、いま聴くと全然速くない…(笑)。実に味わいのあるギタリストにも聞こえます。彼がジャズギター好きでアルバムに1曲くらい4ビートの曲が入ってる。それがかっこいいな、と思ったのが最初かな。

その後、サンタナが師と仰いで大推薦してたジョンマクラフリン。マハビシュヌオーケストラは衝撃的だった。何じゃこりゃー、ってもうとにかく聴いたことないサウンド。それから芋づる式にマイルスとかそういうのに繋がって行くんだけどね。

あと、中3の頃ラジオ番組で聴いたウェスモンゴメリー。こりゃーアルヴィンリーどこの騒ぎじゃない(笑)。まあオーセンティックなジャズギターはウェスが初体験なのかな。で、中3の頃はロックとジャズ半々だったかな。ロックはブルースロックみたいのになってた。ジミヘン、ジェフベック、クリーム。初めて行ったコンサートはBBAだしね!

で、高校入学後は完全にジャズっ子になってロックからは離れました。だからクイーンとかリアルタイムで聴いてない。ホッケー部でキーパーやりながら(ウソみたいでしょ…笑)、帰りにジャズ喫茶寄ってみたいな高校生活。一番ジャズ喫茶行ってたのは2年の頃かなあ…。当時はマッコイタイナーみたいなガンガンなモードジャズ全盛時。僕もフリージャズやらそういうのを小難しい顔して聴いてたわけです(いま考えると何か可愛い…笑)。ジョンコルトレーン命日企画1日コルトレーンしかかけないメリージェーンとか5時間くらいいたりしてね。それであるとき、渋谷の音楽館(だったと思う)で、ジムホールの「アランフェス」がかかった。何か軟弱な感じだな(苦笑)とか一瞬思ったんだけど、いつの間にかそのメロディーの弾き方に完全に引き込まれていました。何でこんなに繊細に美しいんだろう。17歳のガキにわかる由もありません。


2年生になって、大先輩OBに笹路正徳さんがいるジャズ研に入り、ウェスモンゴメリーコピーバンドから始めたわけだけど、ウェスに続いて好きになったのがジムホール。音楽性などでは、僕の時代性から考えてもジムホールの方がサウンドは目標となるものでした。アランフェス、ライブイントーキョー、ジムホールライブ、コミットメントと矢継ぎ早に新譜がリリースされる度に買いました。4つ切りでベースラインにコードつけるのを最初に聴いたのもライブインジャパンのTwister。かっこよ過ぎ、悶絶して聴きましたね。あとドラムとのデュオでの自由なインタープレイ。コンテンポラリージャズギターのお手本でした。「ジムホールライブ」のScrapple From The Appleもすごい。いまも大学授業「ジャズギターの歴史」でかける度に、40年近く前なのに、まったく現在(いま)のギターのサウンド!!って感動しちゃうんだよな。ちなみにLPジャケットに楽譜がちょっとついてたりして、そういうのも嬉しかった。で、だんだん遡ってジムホールインベルリンとかWhere Would I Beとかソニーロリンズの橋とかもチェック。最も当時聴いたジャズギタリストになりました。

そして、ジム翁の演奏を最初にコピーしたのは、2年の終わりか高3になってからです。自分では音なんて到底取れないから、渡辺香津美さんのジャズギターインプロヴィゼーションという教則本に載ってた(ホントによい本でした)のを何曲か最初はコピーしました。ロンさんとのデュオ盤から I'll Remember April, Autumn Leaves, Softly。あ、あと高橋信博さんが書いた(中牟礼さん監修)コピー本も役立ったな。コードの考え方の元になりましたね。 あとジャズ研でアランフェスのYou'd Be So Nice〜やブルースのテーマだけ取って(タイトル失念)やろうとして崩壊したり(笑)。

大学ジャズ研に入ってからは、興味がバリバリフュージョンのテクニカルなものに移ってジム翁はあまり聴かなくなってたのが、4年くらいになってプロミュージシャンを志し始めた頃にふと聴いたアンダーカレント。完全にやられました。何という美しいタッチ、アーティキュレーションと表現力、自在な演奏展開、リズムとグルーヴ。これ、ホントなんだけど、毎日、寝る前に必ず聴いていた音楽です。で、途中で I Hear Rhapsodyが終わる頃寝ちゃう(笑)。昼間はジョンスコ師匠のソフトリー、夜中はジムホール大師匠のマイファニーみたいな時代がありました。

ジム翁が本当にすごかったことの1つが、完全に生涯現役であったということです。歳を取ってもいわゆるシブい味わいのサウンドとかに行かなかった。ワーミーを使って変てこな音でスタンダードやったり、70歳過ぎての10年余もまったく現在(いま)の音を追求していたと思います。

それは憧れであり、55歳の自分など改めて若造と自覚します(笑)。彼を道標として、今後もジャズとギターを精進して行くつもりです。

朝、自宅でお亡くなりになっていたということ。詳しいことはわかりませんが、大往生であったことを願います。最高の人生ですね!!謹んで偉大なジャズギターパイオニアの御冥福をお祈りしたいと思います。ありがとうございました。



P.S…ジムホールさんが、ジャズライフのインタビューで、「僕はジョーパスみたいに弾けないから…」というような趣旨のことを言ってたのを急に思い出しました。僕にとってはまったくジョーパスさんとは違う意味での圧倒的バカテクなんですけど。ビルフリゼールさんもそうだけど、偉大な方々はホントに謙虚です。見習いたい姿勢です。

以下のYou Tube映像を御覧ください。ジムホール大大師匠!あり得ないバカテクです。





nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0