合掌 チックコリアさん [音楽雑感]
チックコリアさんがお亡くなりになりました。
こんな歳になると、自分に直接的な影響を与えてくれた偉大な先輩ミュージシャンの訃報に接することが年々増えています。
僕が影響を受けたような音楽アイドルの年齢を考えたら、これからより頻繁に起こっていくことになるのは間違いありません。寂しいけれど、それが歳を取るってこと、是非もないことです(「麒麟が来る」の最終回見てから気に入って使ってます…苦笑)。避けたければ、自分が死ぬしかない。
チックは僕世代のミュージシャン、ジャズファンにとって、とんでもなく巨大、偉大、唯一無二なミュージシャンです。ただ僕は彼の大ファンとは正直言えません。彼を研究したりしたことは全くありません。だからこんな文章を書くのはちょっと僭越な気分です。でもそんな僕でさえも彼のアルバムはかなり持っているし、相当聴いてきました。だから気持ちとして、チックさんの音楽と僕の関わり(実際に会ったことはありませんが)、僕の音楽人生に与えてくれた影響を書いておきたいと思ったのです。
1973年からジャズを聴き始めたので、御多分に洩れずチックさんはよく聴きました。最初は大ヒット、カモメの「Return To Forever」。ラフィエスタ、こんなにいい曲があるんだ、って子供心に思ったなあ。実はRTF2枚めの「Light As A Feather」はもっと好きかも。まあ両方ともとにかく佳曲揃い。そうしたらRTFは3枚め「第七銀河の賛歌」(ロックバンドみたいでかっちょいい邦題だ)にして大変貌、邦題だけじゃなく全然ロックでした。マハビシュヌの影響があったんだろうって僕は思ってます。このアルバム、確かスイングジャーナルで酷評だった記憶があるんだけど、僕は大好きだった。ディメオラ入ってからの時代より好き。
アルバムリリース直後、高校入学のお祝いでSONYカセットデンスケを買ってもらいました。それをなんとアホガキは中野サンプラザのチックコリア第2期 RTFのコンサートに持ち込んだのです。BB&A、マハビシュヌオーケストラに続く生まれて3回めのコンサート体験。トレンチコートにでっかいレコーダーを忍ばせて(横幅30cm以上はあったと思う)。いやはや緩い「いい時代」でした(爺のプチ武勇伝ってところですね)。YouTubeにその時期のRTFの映像がありました。僕にとっては最高ですね。ビルコナーズってこんなに素晴らしいギタリストだったのか。なんでその後アイコン的なギタリストにならなかったんだろうな…。レニーホワイトも強烈なグルーヴ。
https://www.youtube.com/watch?v=ppUpj90YAFU
ちょっとこの時期(僕がジャズを聴き始めてから高校くらいまで)のことをウィキペディアで調べてみると、アルバムのリリースのペースに相当ビックリです。RTFが以下。
Return To Forever (72)
Light As A Feather (72)
Hymn Of The Seventh Galaxy(73)
Where Have I known You Before(74)
No Mystery (75)
Romantic Worrior(76)
ソロリーダーアルバムは
Crystal Silence(72)
妖精(76)
My Spanish Heart(76)
ほとんどオリジナル曲ばかりであの最上のクウォリティー、ものすごいクリエイティビティー、巨大な音楽力に唖然とします。
あと、マイルス時代のチックも好きだった。「Black Beauty」「Miles at Filmore Live」や「Bitches Brew」での歪んだエレピでの強烈なソロ、ああいう感覚はロックから入ったジャズ小僧にはめちゃ刺激的で痺れました。
アコースティックものでの僕に取ってのベストは「Now He Sings, Now He Sobs」とゲイリーバートンとのデュオコンサートライブ盤かな。ジャケットも音も堪らなかった。美の極致! このデュオの映像も探したら結構ありました。
以下は2011年のライブです。
https://www.youtube.com/watch?v=khwF8v6voIE
アンコール「Armando’s Rumba」でチックとゲイリーでヴィブラフォンの連弾してます。そりゃーそうだ、ピアニストであんなにドラムも上手きゃあヴァイブもできるよなあ。いやはや才人です。
ただ、大学ジャズ研に入ってからは、僕はチックはあまり聴かなくなりました。ピアニストでは断然ハービーハンコックにハマった。ハービーとチックのデュオとかでは、ハービー応援する感じでしたね(笑)。アルバム「マッドハッター」でもやけにハービーのソロが印象に残っています。
大学4年のとき、豊島園ジャズフェスティバルっていう学生ジャズコンテストに出ました。そのときは僕の恩人ドラマー、故滝澤謙治ドクターを擁するバンドで「Samba Song」を演奏、優勝することができました。かなりの難曲、相当練習しましたねえ。人生で最も演奏したであろうチックの曲「Spain」もその頃初めて学祭でやりましたね。
プロになってからは、チックの音楽は自分とは目指すところが違う感じだったんですが、まあ色々曲はやったな。あまりに名曲が多いから必然的にコンテンポラリーなジャズセッションなどではやることになるのです。
1998年、初のソロアルバム「Departure」のレコーディングをLAで行いました。そのときのスタジオはなんと Mad Hatter Studio。チックがかつて持っていたスタジオです。結構気分が上がって「Mad Hatter Blues」っていうトリッキーなブルース曲を書きました。僕のチックに対するイメージってところ。そのレコーディングのサックス奏者は最高にカッコよかったボブバーグ。一時期チックのバンドもやっていた、僕がいままで共演したフロントプレイヤーで一番凄い、上手いと思ったミュージシャンです。彼が録音終わって言いました。「曲も難しくなくて楽しかったよ」。僕は苦笑しつつ聞きました。「ボブさんくらい凄いプレイヤーはどんな曲が難しいの?」「チックの曲は難しいな」「なるほど、そりゃそうですね」。そんな会話になりました。
レコーディングエンジニアはずっとチックのレコーディングをやっていたバーニーカーシュさんでした。彼とはミックスなど相当長い時間一緒にいたので色々なことを喋りました。チックのことも色々語ってくれました。彼が経験したレコーディングで一番の経験は、上記のチックとゲイリーのチューリッヒのライブレコーディングだそうです。もう何かが降りて来たような崇高な体験をした、みたいなことを言ってましたね。
このコロナ時代になって、チックはいわゆるオンラインスクール(サロン?)みたいなものを始めて、世界中に自宅からの演奏映像を公開していたようです。僕は少しだけしか見たことはありませんが、最後に自分の音楽とそれに向かう精神性を伝えたかったのかもしれない、と亡くなったときに思いましたね。ホロっとしました。色々なライブでの仕草を見てても、人間性がなんとも素晴らしいんだろうな、面白い方なんだろうな、という気がします。どう考えても偉人ですね。
長きに渡る膨大な素晴らしい演奏、作品の数々、感謝の念に堪えません。どうもありがとうございました。謹んで御冥福をお祈りいたします。