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ボブディラン氏ノーベル賞受賞スルーをジャズギタリストが語る… [日々着眼時々思案]


こんにちは。ようやく秋っぽくなって来ました。でも直ぐ冬っぽくなっちゃうのかなあ…。Facebookで書いた投稿を推敲してブログにアップしました。

さて、久々に日々の雑感、チョー駄文ですが。ボブディランさんのノーベル賞受賞について思うことを。彼の音楽は好きだけど大体アルバム4枚くらいしか持ってないし(そのうち2枚はベスト盤)、ライブ観たことないし、全くファンとは言えない。初めて彼のことを知ったのは中2くらいの頃の映画「バングラデシュコンサート」だったかなあ。ジョンレノンの回想本とかでもやたら出て来て、ディランっていうのは偉いんだな、って何となく思ってた。ザ・バンドの解散コンサート映画「ラストワルツ」での彼も実に印象的だ(ちなみに、ライブハウス「ラストワルツ」オーナーでしおさいレーベル代表の石原氏なら僕の100倍はディランについて語れるだろう)。



ただ、今回のノーベル賞スルーはかなり面白いな、と思って野次馬ってます。これ、スウェーデンでの受賞式も何事もなかったようにスルーしたらもう「最高の世界の渡世人??」な感じで僕的には大喝采(爆)!


で、世界の何たらとは全く関係がない一介の日本ローカルジャズ渡世人ギタリストが、この状況でのディランさんの心持ちを、世俗な僕の人生にも起こる心持ちと比較してちょっと想像して箇条書きにしてみると



(1)心底興味がない。余計なことに気持ちを惑わされたくない。その人生観を守るべく一切関わらないと決めた。


(2)(1)よりもっと強い憤り。「欲しくもない賞を上から目線でよこしやがって!何でわざわざ授賞式出たりスピーチしなきゃいけないんだよ、勝手にノーベル好きでやってろ!」みたいな(笑)


(3)実は迷っている(あるいはホントは欲しい笑。だからいまの段階で拒否という決定はしない)。迷いのポイントは、賞をもらうといままでの自分のイメージが崩れる危惧にある。あるいはもっと根源的にノーベル文学賞の意味を考えている。


(4)もらってももらわなくてもよいが、いまはコンサートなどに集中しており、二の次になっている。これはまさにペンディングってやつ。



凡百ギタリストが思いつくのはこんなところかなあ。「実はものすごく欲しい」っていうのも書こうともしたけど、その場合はやっぱりすぐ受け取るだろうからたぶんないんだろう(笑)。


ただ、人生やってりゃ(笑)皆さんも経験あると思うけど、こういうことって「時間の経過」っていうのが重要だよね。もうこの「スルー」は既に強力に独り歩きし始めてる感じがする。ディランに「世界の渡世人(権威側に行かない)」を勝手に期待する僕のような野次馬もかなり多いだろう。一方で、この「スルー」を「何と無礼な態度だ!受け取らないなら拒否の表明すればいいじゃないか」と不愉快に思ってる人たちもそれなりにいるような気もする(あまりまわりでは聞かないけど)。


で、確か授賞式は12月。 仮に彼が11月中旬に意見表明したらどうだろう?そのときに改めて拒否するのはありだと思うんだけど。「1ヶ月ずっと考えてみてやはりこれは僕は頂く種類のものではない」と言う感じだ。でももし逆の場合、「ずっと迷ったんだけど、せっかくなので頂くことにした」はかなり難しくないか(寂しい感じ)?ちなみにその場合、勝手な期待をしている僕らは相当ガッカリする感じだな(もちろんどうでもよい外野の態度だけど)。


何かこういうことって、ちょっと仕事やら色々な返事をペンディングしてるときに起こる状況の世界的にでっかいヴァージョンのような気がするわけでした(笑)。


まあ超外野だしどうでもいいんですが、拒否表明もせずずっとスルーが一番面白いなあ。それこそ「あっしには関わりのないことで」っていう渡世人の態度であるからだ。


皆さんはどう思いますか?




P.S 1ボブディラン大ファンの方には大変失礼な投稿だったら何卒お許しを。


P.S 2…せっかくだから上記のザ・バンド「ラストワルツ」の映像貼っておこーっと。関係ないけどジョニミッチェル若い!

https://www.youtube.com/watch?v=Fvp3-WPul4I


P.S 3ミーハーのオイラは、この投稿をした後急にボブディラン聴きたくなって、車で超久々に聴いたら大感動。Just Like A Womanとか音程あるんだかないんだかみたいな歌い方がタマらん…。何かマネして一緒に歌いたくなっちゃう(笑)。やっぱり声の力だなあ。タンブリンマンとか風に吹かれてとか改めてホントにいい曲。



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FLOAT LIKE A BUTTERFLY AND STING LIKE A BEE [日々着眼時々思案]


20世紀最高のカリスマアスリート追悼投稿です。


 image.jpg

 

FLOAT LIKE A BUTTERFLY AND

STING LIKE A BEE

 

6/4にFacebookに投稿した記事を推敲してブログにもアップいたしました。


(6/4記)


マルタさんの広島県福山市神辺町コンサート大盛り上がりで無事終了して、岡山空港近くの温泉に移動。ひとっ風呂浴びて、NHKのビートルズの日本公演秘話を見ている。


 Ali3.jpg


ビートルズ(特にジョン)の記者会見やインタビューの発言って子供心に憧れたものだった。それこそは僕にとってロックだった。そのビートルズが当時の世界ヘビー級チャンピオンが練習しているジムを訪れた映像が残されている(僕はVHSで持っていて、家の何処かに眠っている)。まだカシアス.クレイの頃なのかな。そのカリスマ性、発言はジョンと同様まさにロック、子供心にホントに痺れた。彼は予告KOを繰り返すから、確か公聴会か何かで、八百長なのではないかと疑われて弁明をさせられた。彼は言った。「次の試合で八百長でないことを証明する。◎●ラウンドで次はKOだ!」うろ覚えだけど、そんな感じだったんじゃないかな。最高のかっこよさですよ!アメリカとソ連の宇宙競争華やかしかった60年代前半、試合前に相手のことを聞かれて「あいつは俺のパンチで宇宙に飛び出して軌道を回るのさ」みたいな発言も。モハメッド.アリと改名してから、差別的な発言をした相手に、試合中ずっと「What's my name?」と言いながらぶん殴り続けた試合。最高だな。

 

リアルタイムで試合を見始めた70年以降のファイトも変貌遂げたマイルスみたいではあったけど、後になって見た若い頃のボクシングは、ヘビー級とは思えないスピードと軽やかさ、実にグルーヴィーだったなあ(彼がソウル系の番組に出てダンスやら歌やらやってるのもハマってたな)。

 

ジャズでそういうとにかくカッコよくてカリスマな存在はマイルス.デイヴィス以外あり得ない。マイルス、ジョン.レノン、そしてモハメッド.アリ。僕の価値観を作った60年代、70年代のカリスマが次々と消えて行く。

 

僕の人生における最大の逆転劇「キンサシャの奇跡」、そして高校からの帰り道に猪木アリ戦予想を悪友同士であーだこーだ言ってたのがいまフラッシュバックしている。

 

改めて、20世紀最高の偉大なカリスマアスリートの死を心より悼みます。合掌。


 

(6/7追記)


モハメッド.アリに痺れ、20代の頃、彼のようなイメージ(かっこよさ、スピード、千変万化、ドラマ)を持つ曲を書きたいと思った。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というアリを形容した有名なフレーズから曲のタイトルを取った。「Ali's Dance」!


 Ali2.JPG

 

僕のリーダーアルバムで人の名前を冠している唯一のものだ。僕が「かっこいい!」(僕にとって最高の価値観)と心底感じた存在こそがモハメッド.アリだったのだ。

 

僕はこの曲が出来たとき、初めて自分ならではのサウンドができたと感じることができた。以下URLは2012年VALISリユニオンライブ演奏映像。録音はかなり悪いけど、熱い演奏は伝わると思う。曲のエンディングは僕にとって「キンシャサの奇跡」の逆転KOです(笑)。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ye-Dt2-muxw


 


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恐るべし AI ! [日々着眼時々思案]


おはようございます。昨日御茶の水G Club Tokyoでのレッスン仕事行ったらマニュアルを貰った。4月新年度から生徒とのレッスンスケジュール決めなど全てサイトで一括管理で行なうことになった模様。



大学事務仕事は既にすべてポータル化している。以前はメールでお知らせがあったことが、ポータルをちゃんと見てないと情報もゲットできなかったりするわけだ(見ているのが当たり前とされている雰囲気)。これが忙しかったりするとおろそかになるんだよねえ。全てがポータル化すると、何かにつけて融通が利かないことも多く、実に「古い奴」にはめんどくさい(苦笑)。



思うことはですね、これだけこういう流れだと、いわゆる事務仕事っていうのはどうなって行くんだろうな、ってこと。よく雑誌で、これから消える職業、残る職業みたいな記事があるけどかなり考えちゃうな。



閑話休題。囲碁にはまったく疎いんだけど、AIがトッププロ棋士撃破みたいなニュース。将棋だったら羽生名人が勝てないみたいな話でしょ?



http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160312-OYT1T50073.html

 


寂しいねえ。囲碁、将棋を始めとするゲームでは、学習するようになったAIに人間が勝てなくなったってことは、そのジャンルでは人知が及ばない神がAIだというようにも思える。人間はそのAAIの手筋を研究して強くなろうとする、ってことになって行くのだろうか



翻って仮に音楽だったらどうだろうか。いままでの音楽の方法論(あらゆる作曲やら演奏のスタイルやら)を記憶したAIってどんな感じだろう。そこに適当に緩い失敗やらアバウトなところまで考えられていて、かつ学習する AI が音楽を作ったら(昔、高校同級生加藤総夫がジャズ本でそんなこと書いてたな)。



倫理的な問題や経済的なインセンティブがあるか否かとかは置いといて、録音する音楽だったら相当いいもの(感動できるというような意味において)ができるようになると僕は想像する。



ライブパフォーマンスは、人間がやることろを見ないと面白くないから(肉体がポイント、つまりは身体性)まあしばらくはダメだろうけどね(そういう人間の価値観が変わらない限り)。ロボット野球チームがいくら強くても面白くないでしょ?まあ、人間にとってはだけどね



若い頃、好きだったSF世界は本当に具現化しちゃったなあ。自分が生きてる間にAI音楽家を研究して音楽をやるなんていう時代にならないことを願いたいところではあります(笑)。





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生涯一ジャズ研! [日々着眼時々思案]


皆さん、こんにちは。2月です。何かと色々長かった1月でした(カブは大嵐を食らって品質落として出荷…苦笑。もう畑にはほとんどありません。また仕入れ時を狙いますよ!)。

さて、かなりプライベートな内容ですが…。

僕の生き方の根本にあるのは、中学生の頃のマインド。そして音楽をやろうという態度の根本にあるのは、大学ジャズ研時代にあるとずっと思ってます。

ジャズ研の連中に会うと、もう自然に大学時代の感じになる。それも
東京工業大学なんていうThe理系のジャズ研。女子はほぼ皆無(あ、昔はです)。ちょっとオタッキーで、細かいこと(往々にして大して役に立たない)で議論っぽい感じになったり。いまでも、40〜50代が中心で奥沢リトルジャイアントという我々の隠れ家的なスペースで定期的にセッションをやったりしてるわけです。僕はジャズマンになっちまったけど、サラリーマンになった連中もホントにジャズが上手い。とにかくジャズ魂が何かよいんですね。

それが久々に大きな結晶になったのが、皮肉なことに昨年の Dr.滝澤謙治追悼ライブでした。


そこには、ホントに何十年ぶりかのジャズ研の連中が集いました。

で、僕が言い出しっぺになって、ジャズ研大OB会をやろうという話が持ち上がったわけです。幹事長は追悼バンドメンバーで1年先輩のハービー橘高さん、そして事務局長がリトルジャイアントの名シェフでこういう仕切りの達人、3年後輩のちあき。もう1人、ちあきの同級生でやっぱり追悼バンドの魂のドラマー西尾。そして僕の4人が幹事になりました。で、その日に2/1(土)という日にちだけを決めました。

それからは、名簿の整理です。前回OB会はほぼ10年前。古い名簿や色々Facebookなどを使って連絡先をあたります。ずっと会っていない懐かしい先輩後輩から参加の返信が来る。嬉しいですねえ。そして準備期間数ヶ月、遠くはアメリカ、日本各地から人が集まることになったのです。

2/1(土)中延ボナペティーが会場となりました。僕はちょっと武蔵小杉に用事があってそこから行ったんですね。目黒線で大岡山まで。この駅で降りるのも何十年ぶり。懐かしいと言いたいところですが、ずいぶん前に地下駅になっちゃったんだよなあ。以前の大学が見える電車はよかった。で、大井町線に乗り換えて中延です。店に行く前にちあきと西尾に会っちゃった。ちょっと早いから飲んで作戦を練るかって飲み屋を探したらほとんどなし。で、早めにボナペティーに行ってビールとなりました。まずは幹事達で席決め。こんなことを僕があーだこーだやってるのは奇跡です(笑)。

で、どんどん人が集まって来ます。意外に皆変わってなくてすぐわかりました。会の始まりは橘高幹事長から今回の趣旨説明。大OB会は4年に1回冬季オリンピックとワールドカップの年にやる!宣言、毎年セッション的なOB会は持ち回り幹事でやって行く、などの今後の方針が説明されます。そして、東工大ジャズ研プロミュージシャンの草分け、大口純一郎さん会長就任への了承を満場一致で決定(ちなみに大口さんまだ来てない…笑)!乾杯の音頭は、今回の最長老1960年入学の富田さんにお頼みしました。入学年度が僕1歳(笑)。乾杯の後は歓談タイムです。年配の方から僕の2年上くらいまでの世代は自己紹介的な御挨拶がありました。富田さんによるジャズ研創成期の話が聞けてとてもよかったですね。ディキシーとかで営業の仕事も多かったみたいです。昭和30年代そうだろうなあ…。ダンスバンドもてそうだぞ。だいたいこの日の参加者60人以上で僕は約30番目。全然ペーペーでございます(笑)。

しばらくして、司会のちあきから紹介があって、現役学生による演奏が2曲ありました。ジョーヘンのInner Urgeとギラッドヘクセルマンの11/8拍子の曲。実は彼らが演奏したのは理由があります。部室のピアノが酷いので新たなものにするための資金カンパをOBに募ったわけです。ここで、こんな難曲(何かまさに理系的…笑)を持って来た彼らの気概はお見事!素晴らしかった!演奏もビックリなレベルです(ピアノは1年生だった)。もちろんかなりの資金が集まりました。アンコールでブルース(だったような…記憶が曖昧)。

そして大拍手の中、僭越ながらワタクシが講評。って酔っ払ってるし「素晴らしい!!」って言っただけ(笑)。で、僕がちょっと思い出話をしつつ、大口純一郎さんとのデュオ演奏となりました。大口さんには大学卒業時、目をかけてもらってライブハウスにお邪魔して弾かせてもらったり、大変お世話になったわけです。 It Could Happen To You。たぶんデュオは初めてだったんじゃないかな。結構緊張したけど楽しかった。いくつになっても先輩はいいもんです…(しみじみ)。

これも満場の拍手。締めは大口さんの御挨拶。「事務的なことはできないよ(そりゃーそうでしょう。まったくそういう性格の人ではない…笑)。でもこういう会はいい」みたいなお話だったと思います。

会は名残惜しい中無事に終了。大先輩方に2次会に誘われましたが、幹事の諸々もあったし、引けるのは遅くなって、僕らのまわりの世代の2次会となりました。

何にしてもこんな楽しい時間はそうあるもんではありません。会の間中ずっと浮き足立った感じでしたね。あまりに懐かしい人が多くて、話も色々できなかったのは残念です。

ところで……
今回の参加者ですが…

60人以上いて全員男!!男子校か(笑)??

The 理系の東工大ジャズ研、いま流行のリケジョに負けないリケジャを盛り上げて行こうと我々は誓ったのでした。

でもリケジョもジャズ研に入れよう(笑)!!

以下が当日の絵模様です。西尾カメラマン、サンキュー!!



改めて…

生涯一ジャズ研であります。






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自分がやるべきこと [日々着眼時々思案]



皆さん、おはようございます。

今年はブログで新年のご挨拶をしていませんでしたね。

寒中見舞いの時期になりましたが、今年最初の記事ということで…、


本年もよろしくお願いいたします。


たぶん、いつも年初には何か書いていたと思います。ちょっと今年はそういう気分になりませんでした。

実は、年末に親友が大手術をしました。生死にかかわると言ってもよかったかもしれない。その彼の病になってからの態度は、他の旧友たちを驚かせる立派なものでした。何回か見舞いに行ったときの振る舞い、気遣い、正直な気持ちの吐露とともに節度ある覚悟と生への意志の表明。大げさにならず自然に振る舞う(そして彼はそれを成し遂げていた)彼の態度に僕は感動さえ覚えました。

「これからは、自分にとってやるべきことをやり、やらなくていいことは明確にやらない」と彼は言います。別の友人は、「彼の無意識への気づき」とそれを表現しています。彼を見て、果たして僕が彼の立場になったらどうだろう? 万事塞翁が馬道は貫けるか? そんなことを何度も考えました。ジムホール翁の死(あるいは生き様)はそんなときにまさに重なりましたね。この暮れから正月は、改めて「自分がやるべきこと」をいつにも増して考えたときだったのです。

僕の人生は、前々回の記事に書いたように(http://nunosan.blog.so-net.ne.jp/2013-12-25)、子どもの頃からの夢、願望に向けてかなりストレートに歩んでいるものだと思っています。それは多分かなり稀有なことです。僕は正規の音楽教育など何も受けていないし、いわゆるアカデミックな音楽的才能に優れた人間ではまったくありません。楽器も大して巧くない。ただ僕は願望にストレートに向かって行った。それだけです。で、何とか楽しく生きている。そんな幸運な人生を歩ませて頂いているのだから、僕にとって「自分のやるべきこと=願望」を今後も全うして行くことが、この幸運に対する恩返しであると考えます。

取りあえず60歳までのあと5年、「自分がやるべきこと」を、より削ぎ落して力を抜いて実行して行く所存です。ここ10年大きく変わった音楽界で、あらゆる方法でサバイバルして行きます。こだわりもほとんどありません。でも、こだわらずとも僕はいつでも僕になっているという自負はもうあります。ポリパフォーマンスという前人未到の地を行くワンアンドオンリー鈴木よしひさくんと昨秋共演したときに言われた言葉は嬉しかったな。「布川さんのギターだけはすぐわかる」。



と大げさに書いてしまいましたが…(笑)、


これは、あと5年でどんな音楽をどれだけやりたいとか、アルバムを何枚出したいとか、そういう感覚とはちょっと違います。

実は僕のやりたいことというのは日々の何気ないことです。サバイバル自体を楽しんで新鮮な気持ちで行なう人間としての態度です。それがどんな形であれ、僕の表現となります。そういう心性から、新たな自分の音楽への希求も生まれる。僕の内なる野望(これは秘密…笑)もあせらず実現に向けてガンバります。実は昨年、やりたいことが色々広がったんですよね。

あまりに抽象的でわかりにくいと思いますが、いま言えることはこんなところです。

今年も精進して行きます。でも、基本は

ジャズ渡世人(笑)

偉そうなもんじゃございません。柳に風ってな感じで、しなやかに飄々と力を抜いた振る舞いをして行きたいもんです。


最後に友人がFacebookで紹介してくれた、マーティンスコセッシが娘に宛てた手紙の文面の素晴らしい言葉を引用します。


あなたを映画作りに駆り立てた閃きを守らなくてはいけない。命を賭けて守らなくてはいけない。



何と素晴らしい言葉でしょう。肝に銘じます。

ということで、今年も皆様!


何卒よろしくお願いいたします。





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子どもの頃の夢 Part 3「果たして自分は夢を達成しているのか?」 [日々着眼時々思案]



メリークリスマス!!


年末特別企画記事「子どもの頃の夢〜」Childhood's Dream 
第3回めです。自分のことばっかり書いてるけど、お楽しみ頂いてますでしょうか。

さて、最初に戻りましょう。一体、僕は子どもの頃の夢をどれくらい達成しているのか、ということですね。

 

子どもに聞く最もティピカルな質問の1つ、「大人になったら何になりたい?」たいていは成りたい職業を指す質問です。僕は以下のように変遷して行きました。

 

●小学校低学年…プロ野球選手。田淵だぜい!


●小学校6年…国鉄総裁。鉄っちゃんだし。東海道線の駅名全部覚えた!


●中学生…田宮二郎みたいなパイロット。山本陽子みたいな彼女がいるのがミソ…(爆)


●高校3年…建築家。清家清の違いのわかる男みたいな。あのCM見て東工大6類(清家さんは当時東工大教授)受けました(超爆)


●大学1年…雀師(ウソ)


大学3〜5年…ジャズマン



●ホントになっちゃった32年間!!



●現在…卓越したカブ栽培農家(激爆!)

 

 

というのが僕の人生での「成りたい人(職業)」の変遷です。

 

しかし、こういう風に考えると、本田さんとかイチローさんとかはやっぱりビックリしちゃいますね。もうこの変遷矢印がない人生なわけです。何てったって小学校の作文が「セリエAの10番」。僕は「国鉄総裁」(だいたい国鉄ないし…笑。でもこの作文、なかなかだったのよ。田中角栄の日本列島改造論みたいなことを6年生が書いてるの)。

 

それは置いといて、大学3年生からの「音楽を生業としてそれで食う」「好きな音楽を自分の表現として実現する」って意味でのジャズマンという夢(?)に関しては、前者はいまのところは何とか成し遂げてるし(今後はわからんです…怖)、後者は、充分僕はやってると思ってます(もちろんいつまでも精進は続くし、やりたいことも変わる。でもいままでやってきた音楽で僕は悔いのない表現はやっているつもりです)。そう考えるとよい人生なのでしょう。だいたい、人生にいわゆる上司がいたことがない、ってのも考えてみてすごい(笑)。全部自分の選択です。だからストレス少ないんだろうな…。

 

僕は30歳くらいの人生色々♪真っ盛り(笑)だった頃から「人間万事塞翁が馬」が座右の銘になりました。あまり詳しくは書きませんが、僕の考えの基本は、自分が行った人生の選択が良かったか悪かったかは根本的には判断できない。ただその選択の結果は潔く受け入れる、というものです。そういう精神性になれば、自己を否定することも、他人を羨むこともなくなります。怒ることもほとんどない。

 

僕はVALISというバンドを始めた頃、相当メジャーになって売れるつもりで、夢と希望に溢れていました。海外とかにも行きたかった。でも、それはまあ達成はしなかった。だけど、それも人生です。何かが僕には足りなかったんでしょう。もちろん僕のモチベーションもあります。でもホントに好きなことはやった。それは僕にとってよかったことです。だから、塞翁が馬人生観の僕にとって、夢破れて残念なんてことはまったくありません。

 

そして、40歳くらいのときに自分が何か行動(特に仕事)するときの原理、価値観を自分で整理しました。これはエッセイ

「ジャズの壁を超える100のアイディア」にも書いた

「Q95 仕事へのインセンティブ」です。演奏、創造、仕事、名誉、伝達、金銭、勝利、協力、愛、くつろぎという10個のインセンティブを考えてみたんですね。こうやって自分のやっていることを分析すると何か問題が起きたときに心を平静に保つことができるようになりました(詳しくは本読んでね…笑)。

 

要は、いまのところ、実に好きなことをやり続けている、って人生なんですね。本当にありがたくラッキーなことです。

 

 

これが、僕へのクリスマスプレゼントってことだな。

 


来年も「人間万事塞翁が馬道」精進いたします!

 

 

 

Childhood's Dream

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  • 出版社/メーカー: BQ Records
  • 発売日: 2011/07/13
  • メディア: CD

 


ジャズの壁を超える100のアイディア (jazz guitar book Presents)

ジャズの壁を超える100のアイディア (jazz guitar book Presents)

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  • 発売日: 2010/06/02
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子どもの頃の夢 Part 2「ジムホールとジャズギターな僕」 [日々着眼時々思案]



今年は、僕の人生で重要な人が亡くなった年でした。

知人では恩人であった滝澤謙治さん。あの人の追悼ライブ終わったら何か今年の仕事が終わっちゃった気がするくらいでした。

そして、知人ではないけど、僕にとって「ジャズギターの父」であったジムホールさん。僕だけでなく、コンテンポラリージャズギタリスト皆彼の息子です。僕の心の師匠ジョンスコフィールドさんやパットメセニーさん、ビルフリゼールさんは「ジャズギターの兄」なわけです。

ジムホールさんは昨年来日ライブの他数回ライブは観ています。来年1月にライブが予定されていたロンカーターさんとのデュオは昔のブルーノートで観ました。ビックリしたのはその音量の小ささ。まるでレッスンやってるときくらいの音量(あるいはそれ以下)だったから、それこそグラスをテーブルに置くのも慎重に、みたいなライブでしたね。緊張感バリバリ、でも本人たちはリラックスみたいな理想的な音の会話がそこにありました。また行きたかったのにな…。

前回の続きで、中学時代にタイムワープします。

僕がジャズギターに興味を持ったのは、アルヴィンリーというテンイヤーズアフターのギタリストが最初。速弾きギタリストと言われてたけど、いま聴くと全然速くない…(笑)。実に味わいのあるギタリストにも聞こえます。彼がジャズギター好きでアルバムに1曲くらい4ビートの曲が入ってる。それがかっこいいな、と思ったのが最初かな。

その後、サンタナが師と仰いで大推薦してたジョンマクラフリン。マハビシュヌオーケストラは衝撃的だった。何じゃこりゃー、ってもうとにかく聴いたことないサウンド。それから芋づる式にマイルスとかそういうのに繋がって行くんだけどね。

あと、中3の頃ラジオ番組で聴いたウェスモンゴメリー。こりゃーアルヴィンリーどこの騒ぎじゃない(笑)。まあオーセンティックなジャズギターはウェスが初体験なのかな。で、中3の頃はロックとジャズ半々だったかな。ロックはブルースロックみたいのになってた。ジミヘン、ジェフベック、クリーム。初めて行ったコンサートはBBAだしね!

で、高校入学後は完全にジャズっ子になってロックからは離れました。だからクイーンとかリアルタイムで聴いてない。ホッケー部でキーパーやりながら(ウソみたいでしょ…笑)、帰りにジャズ喫茶寄ってみたいな高校生活。一番ジャズ喫茶行ってたのは2年の頃かなあ…。当時はマッコイタイナーみたいなガンガンなモードジャズ全盛時。僕もフリージャズやらそういうのを小難しい顔して聴いてたわけです(いま考えると何か可愛い…笑)。ジョンコルトレーン命日企画1日コルトレーンしかかけないメリージェーンとか5時間くらいいたりしてね。それであるとき、渋谷の音楽館(だったと思う)で、ジムホールの「アランフェス」がかかった。何か軟弱な感じだな(苦笑)とか一瞬思ったんだけど、いつの間にかそのメロディーの弾き方に完全に引き込まれていました。何でこんなに繊細に美しいんだろう。17歳のガキにわかる由もありません。


2年生になって、大先輩OBに笹路正徳さんがいるジャズ研に入り、ウェスモンゴメリーコピーバンドから始めたわけだけど、ウェスに続いて好きになったのがジムホール。音楽性などでは、僕の時代性から考えてもジムホールの方がサウンドは目標となるものでした。アランフェス、ライブイントーキョー、ジムホールライブ、コミットメントと矢継ぎ早に新譜がリリースされる度に買いました。4つ切りでベースラインにコードつけるのを最初に聴いたのもライブインジャパンのTwister。かっこよ過ぎ、悶絶して聴きましたね。あとドラムとのデュオでの自由なインタープレイ。コンテンポラリージャズギターのお手本でした。「ジムホールライブ」のScrapple From The Appleもすごい。いまも大学授業「ジャズギターの歴史」でかける度に、40年近く前なのに、まったく現在(いま)のギターのサウンド!!って感動しちゃうんだよな。ちなみにLPジャケットに楽譜がちょっとついてたりして、そういうのも嬉しかった。で、だんだん遡ってジムホールインベルリンとかWhere Would I Beとかソニーロリンズの橋とかもチェック。最も当時聴いたジャズギタリストになりました。

そして、ジム翁の演奏を最初にコピーしたのは、2年の終わりか高3になってからです。自分では音なんて到底取れないから、渡辺香津美さんのジャズギターインプロヴィゼーションという教則本に載ってた(ホントによい本でした)のを何曲か最初はコピーしました。ロンさんとのデュオ盤から I'll Remember April, Autumn Leaves, Softly。あ、あと高橋信博さんが書いた(中牟礼さん監修)コピー本も役立ったな。コードの考え方の元になりましたね。 あとジャズ研でアランフェスのYou'd Be So Nice〜やブルースのテーマだけ取って(タイトル失念)やろうとして崩壊したり(笑)。

大学ジャズ研に入ってからは、興味がバリバリフュージョンのテクニカルなものに移ってジム翁はあまり聴かなくなってたのが、4年くらいになってプロミュージシャンを志し始めた頃にふと聴いたアンダーカレント。完全にやられました。何という美しいタッチ、アーティキュレーションと表現力、自在な演奏展開、リズムとグルーヴ。これ、ホントなんだけど、毎日、寝る前に必ず聴いていた音楽です。で、途中で I Hear Rhapsodyが終わる頃寝ちゃう(笑)。昼間はジョンスコ師匠のソフトリー、夜中はジムホール大師匠のマイファニーみたいな時代がありました。

ジム翁が本当にすごかったことの1つが、完全に生涯現役であったということです。歳を取ってもいわゆるシブい味わいのサウンドとかに行かなかった。ワーミーを使って変てこな音でスタンダードやったり、70歳過ぎての10年余もまったく現在(いま)の音を追求していたと思います。

それは憧れであり、55歳の自分など改めて若造と自覚します(笑)。彼を道標として、今後もジャズとギターを精進して行くつもりです。

朝、自宅でお亡くなりになっていたということ。詳しいことはわかりませんが、大往生であったことを願います。最高の人生ですね!!謹んで偉大なジャズギターパイオニアの御冥福をお祈りしたいと思います。ありがとうございました。



P.S…ジムホールさんが、ジャズライフのインタビューで、「僕はジョーパスみたいに弾けないから…」というような趣旨のことを言ってたのを急に思い出しました。僕にとってはまったくジョーパスさんとは違う意味での圧倒的バカテクなんですけど。ビルフリゼールさんもそうだけど、偉大な方々はホントに謙虚です。見習いたい姿勢です。

以下のYou Tube映像を御覧ください。ジムホール大大師匠!あり得ないバカテクです。





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子どもの頃の夢 Part 1「ビートルズとロックな僕」 [日々着眼時々思案]



皆さん、今晩は。ずいぶんブログも御無沙汰になってしまいました。

気がついてみれば師走。年末ライブは少ないけど、大学の締め&冬期講習、年内宿題シベリウス譜面書き、子供の受験、親友の大病での入院、飲み会(笑)、最後のかぶしょーぶ(爆)などてんやわんやです。

でも、そういうときに限ってブログとか書きたくなるわけです(笑)。年末年始、物事や自分の生き方を考えるときです。この歳になると、とても近しい人の病気、そして死というものにも直面し、自分の残りの人生をどう生きるかということを若いときよりも考えるようになりましたね。

今回の記事のタイトルは「子どもの頃の夢〜」、まさに福田重男と僕のデュオアルバムタイトル名ですね。一体、僕は子どもの頃の夢をどれくらい達成しているのかな。

それを考える前にですね、最近よく思うんですよ。僕は音楽家でずっとやってるけど、果たして何か昔と変わったのかな?ってね。

それを一番感じたのは、10月に行ったポールマッカートニーのコンサートです。僕のまわりでもたくさんの音楽家があの大イベントに行き、涙した。もちろん70歳過ぎて演奏、ステージング、ヴォリュームすべてにおいて最高のクウォリティーのステージをやる、そしてあまりの数の珠玉の名曲群。それはそれは純粋に素晴らしい音楽ライブであったことは間違いないんだけど、それに加えて、あそこに行った人たちは、皆それぞれに「ビートルズ体験、ポールあるいはウィングス体験」を持っている。それはあまりに人生に張り付いちゃってると思うわけです。それがより涙を誘う。僕の涙腺は5回くらい決壊しましたね(少ない方かもね…笑)。Something, Paperback Writer,Back In The USSR, Let It Be, Golden Slumber〜The Endあたりかな。

僕が洋楽を聴き始めたのは中1の冬。最初はポップスのラジオ番組でした。僕にとってはポップス〜ロックの黄金時代です。キャロルキング It's Too Late、カーペンターズ Superstar、エルトンジョン Yes,It's Me、シカゴ Question 67&68、スリードッグナイト Joy To The World、ジョンレノン Imagine、ジョージハリスン My Sweet Lord、ポールマッカートニー Another Day、CCR雨を見たかい、ピンクフロイド吹けよ風呼べよ嵐、ツェッペリン Black Dog、ローリングストーンズ Brown Sugar……みんなリアルタイムです。

で、親に当時ブームだった4chステレオ(オーディオブームな時代でもあった)を買ってもらって、最初はシングル盤を買いました。上にあげた曲はほとんど買いましたね(よくお金あったなあ…)。あとニールダイアモンドのSweet Carolineとか。最近テレビで流れて懐かしい(笑)。ビートルズはHelp! とHey JudeとYesterdayとLet It Beを買ったかな。

まだギター始めてたかどうかは記憶ないけど、一番最初に洋楽を聴き始めたのは、悪友でいまや世界を股にかける超有名プロデューサー、カマダでした(彼はFBでも友達。いまもメチャ面白い人生送ってる…笑)。ギターも彼が最初。僕は彼に強い影響を受けました。で、最初はガキたちで「ビートルズのメンバー4人言ってみ?」みたいなことをやりあってた。「え、ジョン、ポール、ジョージ、あと一人誰かな?エルトンジョン??」みたいな(爆)。ギターは当時吉田拓郎で大流行だったフォークとかもやったけど、僕は何と言ってもロックでした。ミュージックライフとか買って必死にバンドとメンバーの名前覚えたなあ(笑)。ギター始めたのもその頃です。

しばらくして「やっぱLP買わなきゃダメっしょ」みたいなことになり、エルトンジョンスペシャルコレクション、シカゴギフトパックと続けて買った。3枚めがビートルズのヘルプ。僕はルックスはジョージが好きでした。裏ジャケのデニムシャツとTシャツの重ね着がかっこよくてマネしましたね。ちなみにポールはTシャツ一丁(記憶合ってるかな…)。それからレットイットビー、アビーロード、サージェントペッパーズ〜、リボルバー、ラバーソウルあたりを5,6枚買い続けました。父親が会社にギター上手い若いのがいるって言ってウチに連れて来てくれたこともあった。Get Back弾いてもらって衝撃!そのときに「これが最高だよ!」って言ってホワイトアルバム貸してくれました。確か4,000円以上して高くて買えなかったものだったから嬉しかった。ビートルズで一番好きなアルバムになりましたね。ちなみに、僕が最初にコピーしたギターソロはLet It Beのソロ。こんなかっこいいメロディーをギターで弾けるのかって思ったなあ。メジャーペンタだけなんだけどね。それから2年くらいペンタでソロを取るのに嵌ることになります。

中2になって、買い集めたビートルズのLPは全部同級生アクネに売っちゃった。それがきっかけで現在(いま)でも親友です。そのお金はツェッペリン、グランドファンクとかに変わりました。その後はテンイヤーズアフター、ストーンズ、クリーム、パープル、ジェフベック、ジミヘンとかのギターヒーローの音楽、ハードロックやブルースロックに鞍替えして行ったわけです。「え、ビートルズまだ聴いてるの?」みたいな感じかな(苦笑)。ホントは好きなんだけどさ。

とにかく、僕の音楽の原点の最もコアな部分にビートルズがあることは間違いありません。この間のポールのサウンドを聴いたときも、色々再認識させられましたね。コードやメロディーのアイディア、構成の複雑さ、ぶっ飛んだ狂気さえも存在している音楽の振幅。それでいて、思い切りメロディックでポップであるという…。まあ、すごい音楽なわけです。例えばAnother Dayなんか途中で全然違うメロディーが組み合わさってたりする。拍子も変わる。いまメジャーなポップ音楽でそういうのあんまり聴かない気がするんだな。

で、ホントに最近思うのが、子どもの頃、最初に好きだった音楽は、ほとんど現在(いま)聴いてもグッと来るということ。ポールのコンサートの大感動醒めやらないときに、スカパーでクリーム68年アルバートホールコンサート観てたらこれもかなりやられた。中学生の頃、NHKのロック番組で観たものなんですけどね。途中でクラプトンのギター講座があって、ヴィブラートとかだけでやられちゃう。おー、何て上手いんだ!二十歳ちょいのガキのくせに(笑)。タバコなんかギターにさしやがって…(で、皆マネる…)。ジョジョの番組テーマのイエス Roundabout だって、かかる度にイエーイですよ(笑)。

いま聴くとイマイチとかまったく思わない!わけです。

これは、僕が子どもの頃から進化してないってことなのか?いや、進化かどうかはわかんないけど、深化してる気はするんだけどな。要は子どもの頃やりたかったことを具現化すべくここまでやって来たってことかもしれない……、

と強く思うわけです。

今日はここまで。このブログ記事、たぶん3部構成くらいになります。

次回はジャズギターに出会う布川少年、ジムホールさんを語る予定…。


To Be Continued ……。


Childhood's Dream

Childhood's Dream

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: BQ Records
  • 発売日: 2011/07/13
  • メディア: CD




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大鵬さんを偲ぶ [日々着眼時々思案]

 

皆さん今晩は。たまには音楽とまったく関係ない記事書きましょう。

 

僕のまわりの投稿で大鵬さんのこと書いてる人がいない。OLD相撲ファン少ないのかなあ。僕は完全に巨人大鵬卵焼き世代です。で、子供の頃、卵焼き以外は好きじゃなかった。基本、天邪鬼アンチ1位の性格なんだな。でもそれはまあよく言う裏返しだったのかも(読売にはそういう感情はないと思いたい笑)。

 

小学校低学年時代は一本気な感じの「剛」の柏戸関を応援した。取りこぼすから優勝できないんだけどね。柏鵬時代って言ったって優勝は確か5回。でも2人の直接対決では相当均衡していたと記憶している。

 

その後、北玉時代になって引退間近だった頃は大鵬関を応援するようになった。実は何かラテンっぽい感じの色男系北の富士が一番好きだったんだけど(友達に超玉の海ファンがいて恥ずかしくて隠してた笑)、北の富士は安定相撲の玉の海になかなか勝てない。

 

一番印象に残ってるのは、玉の海関に本割りと決定戦で連勝した最後の優勝。フレキシブルな相撲で型がないジャズ相撲!と言われた大鵬と右四つの盤石の型の玉の海。本当に力の入る2番だった。

 

今日の告別式の王さんの弔辞よかったなあ。新年会でヨッパラって大の字になって寝ちゃった話。酒豪で有名な2人の偉人の大の字。頻繁に行われるしょーもないジャズマンの寝落ちとはかなり違う(笑)。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

 

P.S…亡くなった我が父は、相撲の場所中になると、テレビの前に何時間も座って「テレビ桟敷」を決め込んで飲んでた。大鵬好きだったっのかなあ。ジャズ相撲はウソです(すんません)。

 

 

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sumo/news/CK2013013102000165.html



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古い奴だとお思いでしょうが… [日々着眼時々思案]



皆さんこんにちは。またまたお久しぶりとなってしまいました。ちょっと夏の気配も忍び寄っている気分のよい季節ですね。

GWまでの激忙を過ぎて若干五月病っぽくなってました。
ちょっと時間が空くといけないのかね。マグロのように動き続けないと死んじゃうのかもしれない。あ、でも学校仕事は忙しいです。アンサンブルクラス担当委員みたいのになっちゃってもう事務だらけ。僕でいいのか?って感じだけど(苦笑)。今日も6/30、7/1に行われるジャズコースライブやらレーティングテストのもろもろの調整あれこれとかね(結構大変)。1日そんなことやってます。

そんな訳で、GW後はライブもまだ1本、昨日の荻窪ルースター、ギタリスト4人バトルだけ。これはメチャクチャ面白かったなあ。若干24歳菰口雄矢スゴ過ぎ!こういう超弩級の若者を観るのは実に楽しい。ジェフベックがジャズやってんじゃないかみたいなかっちょよさ。シビレました。年齢倍以上のオッサン達、布川、道下、竹中3人皆インスパイアされて相当ガンバった(笑)。今週は明後日土曜が金沢もっきりやでヤボ(矢堀)と久々の共演。これも楽しみ。こういう共演がすぐできちゃうのは、ギターって楽器のいいところです。管はともかく、リズムセクションプレイヤー同士って会わないしね。

で、他のギターの人を見ると改めて自分のプレイを見つめ直す機会にもなる。できることできないことがわかる。大体これだけの達人が集まって、4人めにソロがまわって来て何やりゃーいいんだ、って話(笑)。そうすると、追い詰められて、自分が出て来るんだな。もうそれしか生存方法がない。

Rooster516.jpeg



閑話休題。ヒマなのでちょっと最近思うことを。

タイトル、「古い奴だとお思いでしょうが」の内容です(このタイトルでピンと来るやつ自体が古い…笑)。

ここ1年くらいの日本でのFacebookの浸透もすごいものを感じます。いつの間にかmixiとか過疎地域みたいになっちゃった。僕はツイッターと連動でやってるんだけど、イメージ的にはもうFacebookの方が人がたくさんいる印象があります。

僕は参加したのは2010年2月、昨年まではちょっとピンと来ない感じで、ただ加入してるだけでツイートを流してるだけでした。これだけ流行って来たので、まあ自分なりに整理して、リストだけ見るようにして、見る情報もカスタマイズしたわけです。それならウォールを自分にとっての適量にできる。

で、しょっちゅう友達リクエストが来る。

これ、僕はメッセージが来ない知らない人の場合は基本的には受けません(たまに酔っぱらってるときに受けちゃったりするけど…笑)。知ってる人の場合はいいんですけどね。

僕の印象では、友達リクエストを送ってる人の3/4は知らない人。そのうち9割がメッセージなし。この感覚が「古い奴」にはまったくわからない。まあ、敷居の低さがこれだけ浸透した原因かもしれないけど、僕は嫌ですね。何かビジネスに使ってるにしても、ただ友達増やしてどういう利があるんでしょう?

まあ、そういう感覚になったというのなら、それはそれなんだけど、仮に全部リクエスト受けたとして、僕の場合、その受けた人の書いたものを見ることはないでしょう。そんな時間の余裕はない。

ネット関係のことよくわかんないけど、たぶん僕のことをギタリストとか知って送ってるんでしょ(そうじゃない人も結構いるのかな)? 以前ホームページQ&Aコーナーでは「名前を名乗ってください」ってずっと言い続けて来ました(ブログにしてからは面倒くさいからやめました)。それは、知らない人に何か聞いたりするときの礼儀だと思うからです。別にウソでもいいんですよ(笑)。「布川さんのファンです。よろしかったら…」とか書いてあったら、僕の気持ちもほっこりしてですねえ、リクエスト受けようって気分になるわけです。素敵な文章だったらその人のページに行ってみるかもしれない。処世術的にもホントにイマイチ。ただ、これがFacebook界では当たり前になっている。

ツイッターやFacebookがこれだけメジャーになって、若い人のメールはホントに挨拶が抜けるものが多くなったとも感じてます(これはちょっと自戒も込めて)。それが先生に対してもです。たまに学生にそういう指導しちゃう(笑)。

もう、一体どういうことなんでしょうねえ…。

古い奴にはまったくわからないっすよ(ちゅうか年配者もメッセージ来ないけど…苦笑)。


P.S……この記事の補足。こういう可能性も考えました。

 

実は、メッセージなしで知らない人に友達リクエストを送る人っていうのは全体の割合からいうと僅か。多数の人は知らない人に友達リクエストしていない

 

というような仮説を立てると、知らない人にメッセージ送る人はガンガン色々な人にリクエストを送っていてイチイチメッセージ送ってられない。ある種ジャンクメールか飛び込み営業に近い(笑)。

 

でも、それによって、友達リクエストする人の9割がメッセージなし、という現象があたかも起きているように見える。それが続くと、皆がそれを常識だと思って、メッセージなしが常態化して世の中の礼儀が失われて行く。とも考えられる?? 

 

 



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