ボブディラン氏ノーベル賞受賞スルーをジャズギタリストが語る… [日々着眼時々思案]
さて、久々に日々の雑感、チョー駄文ですが。ボブディランさんのノーベル賞受賞について思うことを。彼の音楽は好きだけど大体アルバム4枚くらいしか持ってないし(そのうち2枚はベスト盤)、ライブ観たことないし、全くファンとは言えない。初めて彼のことを知ったのは中2くらいの頃の映画「バングラデシュコンサート」だったかなあ。ジョンレノンの回想本とかでもやたら出て来て、ディランっていうのは偉いんだな、って何となく思ってた。ザ・バンドの解散コンサート映画「ラストワルツ」での彼も実に印象的だ(ちなみに、ライブハウス「ラストワルツ」オーナーでしおさいレーベル代表の石原氏なら僕の100倍はディランについて語れるだろう)。
ただ、今回のノーベル賞スルーはかなり面白いな、と思って野次馬ってます。これ、スウェーデンでの受賞式も何事もなかったようにスルーしたらもう「最高の世界の渡世人??」な感じで僕的には大喝采(爆)!
で、世界の何たらとは全く関係がない一介の日本ローカルジャズ渡世人ギタリストが、この状況でのディランさんの心持ちを、世俗な僕の人生にも起こる心持ちと比較してちょっと想像して箇条書きにしてみると…、
(1)心底興味がない。余計なことに気持ちを惑わされたくない。その人生観を守るべく一切関わらないと決めた。
(2)(1)よりもっと強い憤り。「欲しくもない賞を上から目線でよこしやがって!何でわざわざ授賞式出たりスピーチしなきゃいけないんだよ、勝手にノーベル好きでやってろ!」みたいな(笑)
(3)実は迷っている(あるいはホントは欲しい…笑。だからいまの段階で拒否という決定はしない)。迷いのポイントは、賞をもらうといままでの自分のイメージが崩れる危惧にある。あるいはもっと根源的にノーベル文学賞の意味を考えている。
(4)もらってももらわなくてもよいが、いまはコンサートなどに集中しており、二の次になっている。これはまさにペンディングってやつ。
凡百ギタリストが思いつくのはこんなところかなあ。「実はものすごく欲しい」っていうのも書こうともしたけど、その場合はやっぱりすぐ受け取るだろうからたぶんないんだろう(笑)。
ただ、人生やってりゃ(笑)皆さんも経験あると思うけど、こういうことって「時間の経過」っていうのが重要だよね。もうこの「スルー」は既に強力に独り歩きし始めてる感じがする。ディランに「世界の渡世人(権威側に行かない)」を勝手に期待する僕のような野次馬もかなり多いだろう。一方で、この「スルー」を「何と無礼な態度だ!受け取らないなら拒否の表明すればいいじゃないか」と不愉快に思ってる人たちもそれなりにいるような気もする(あまりまわりでは聞かないけど)。
で、確か授賞式は12月。 仮に彼が11月中旬に意見表明したらどうだろう?そのときに改めて拒否するのはありだと思うんだけど…。「1ヶ月ずっと考えてみてやはりこれは僕は頂く種類のものではない」と言う感じだ。でももし逆の場合、「ずっと迷ったんだけど、せっかくなので頂くことにした」はかなり難しくないか(寂しい感じ)?ちなみにその場合、勝手な期待をしている僕らは相当ガッカリする感じだな(もちろんどうでもよい外野の態度だけど)。
何かこういうことって、ちょっと仕事やら色々な返事をペンディングしてるときに起こる状況の世界的にでっかいヴァージョンのような気がするわけでした(笑)。
まあ超外野だしどうでもいいんですが、拒否表明もせずずっとスルーが一番面白いなあ…。それこそ「あっしには関わりのないことで…」っていう渡世人の態度であるからだ。
皆さんはどう思いますか?
P.S 1…ボブディラン大ファンの方には大変失礼な投稿だったら何卒お許しを。
P.S 2…せっかくだから上記のザ・バンド「ラストワルツ」の映像貼っておこーっと。関係ないけどジョニミッチェル若い!
https://www.youtube.com/watch?v=Fvp3-WPul4I
P.S 3…ミーハーのオイラは、この投稿をした後急にボブディラン聴きたくなって、車で超久々に聴いたら大感動。Just Like A Womanとか音程あるんだかないんだかみたいな歌い方がタマらん…。何かマネして一緒に歌いたくなっちゃう(笑)。やっぱり声の力だなあ。タンブリンマンとか風に吹かれてとか改めてホントにいい曲。
FLOAT LIKE A BUTTERFLY AND STING LIKE A BEE [日々着眼時々思案]
FLOAT LIKE A BUTTERFLY AND
STING LIKE A BEE
6/4にFacebookに投稿した記事を推敲してブログにもアップいたしました。
(6/4記)
マルタさんの広島県福山市神辺町コンサート大盛り上がりで無事終了して、岡山空港近くの温泉に移動。ひとっ風呂浴びて、NHKのビートルズの日本公演秘話を見ている。
ビートルズ(特にジョン)の記者会見やインタビューの発言って子供心に憧れたものだった。それこそは僕にとってロックだった。そのビートルズが当時の世界ヘビー級チャンピオンが練習しているジムを訪れた映像が残されている(僕はVHSで持っていて、家の何処かに眠っている)。まだカシアス.クレイの頃なのかな。そのカリスマ性、発言はジョンと同様まさにロック、子供心にホントに痺れた。彼は予告KOを繰り返すから、確か公聴会か何かで、八百長なのではないかと疑われて弁明をさせられた。彼は言った。「次の試合で八百長でないことを証明する。◎●ラウンドで次はKOだ!」うろ覚えだけど、そんな感じだったんじゃないかな。最高のかっこよさですよ!アメリカとソ連の宇宙競争華やかしかった60年代前半、試合前に相手のことを聞かれて「あいつは俺のパンチで宇宙に飛び出して軌道を回るのさ」みたいな発言も。モハメッド.アリと改名してから、差別的な発言をした相手に、試合中ずっと「What's my name?」と言いながらぶん殴り続けた試合。最高だな。
リアルタイムで試合を見始めた70年以降のファイトも変貌遂げたマイルスみたいではあったけど、後になって見た若い頃のボクシングは、ヘビー級とは思えないスピードと軽やかさ、実にグルーヴィーだったなあ(彼がソウル系の番組に出てダンスやら歌やらやってるのもハマってたな)。
ジャズでそういうとにかくカッコよくてカリスマな存在はマイルス.デイヴィス以外あり得ない。マイルス、ジョン.レノン、そしてモハメッド.アリ。僕の価値観を作った60年代、70年代のカリスマが次々と消えて行く。
僕の人生における最大の逆転劇「キンサシャの奇跡」、そして高校からの帰り道に猪木アリ戦予想を悪友同士であーだこーだ言ってたのがいまフラッシュバックしている。
改めて、20世紀最高の偉大なカリスマアスリートの死を心より悼みます。合掌。
(6/7追記)
モハメッド.アリに痺れ、20代の頃、彼のようなイメージ(かっこよさ、スピード、千変万化、ドラマ)を持つ曲を書きたいと思った。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というアリを形容した有名なフレーズから曲のタイトルを取った。「Ali's Dance」!
僕のリーダーアルバムで人の名前を冠している唯一のものだ。僕が「かっこいい!」(僕にとって最高の価値観)と心底感じた存在こそがモハメッド.アリだったのだ。
僕はこの曲が出来たとき、初めて自分ならではのサウンドができたと感じることができた。以下URLは2012年VALISリユニオンライブ演奏映像。録音はかなり悪いけど、熱い演奏は伝わると思う。曲のエンディングは僕にとって「キンシャサの奇跡」の逆転KOです(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=ye-Dt2-muxw
恐るべし AI ! [日々着眼時々思案]
おはようございます。昨日御茶の水G Club Tokyoでのレッスン仕事行ったらマニュアルを貰った。4月新年度から生徒とのレッスンスケジュール決めなど全てサイトで一括管理で行なうことになった模様。
大学事務仕事は既にすべてポータル化している。以前はメールでお知らせがあったことが、ポータルをちゃんと見てないと情報もゲットできなかったりするわけだ(見ているのが当たり前とされている雰囲気)。これが忙しかったりするとおろそかになるんだよねえ…。全てがポータル化すると、何かにつけて融通が利かないことも多く、実に「古い奴」にはめんどくさい(苦笑)。
思うことはですね…、これだけこういう流れだと、いわゆる事務仕事っていうのはどうなって行くんだろうな、ってこと。よく雑誌で、これから消える職業、残る職業みたいな記事があるけどかなり考えちゃうな。
閑話休題。囲碁にはまったく疎いんだけど、AIがトッププロ棋士撃破みたいなニュース。将棋だったら羽生名人が勝てないみたいな話でしょ?
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160312-OYT1T50073.html
寂しいねえ。囲碁、将棋を始めとするゲームでは、学習するようになったAIに人間が勝てなくなったってことは、そのジャンルでは人知が及ばない神がAIだというようにも思える。人間はそのAAIの手筋を研究して強くなろうとする、ってことになって行くのだろうか…?
翻って仮に音楽だったらどうだろうか。いままでの音楽の方法論(あらゆる作曲やら演奏のスタイルやら)を記憶したAIってどんな感じだろう。そこに適当に緩い失敗やらアバウトなところまで考えられていて、かつ学習する AI が音楽を作ったら(昔、高校同級生加藤総夫がジャズ本でそんなこと書いてたな)。
倫理的な問題や経済的なインセンティブがあるか否かとかは置いといて、録音する音楽だったら相当いいもの(感動できるというような意味において)ができるようになると僕は想像する。
ライブパフォーマンスは、人間がやることろを見ないと面白くないから(肉体がポイント、つまりは身体性)まあしばらくはダメだろうけどね(そういう人間の価値観が変わらない限り)。ロボット野球チームがいくら強くても面白くないでしょ?まあ、人間にとってはだけどね…。
若い頃、好きだったSF世界は本当に具現化しちゃったなあ…。自分が生きてる間にAI音楽家を研究して音楽をやるなんていう時代にならないことを願いたいところではあります(笑)。
生涯一ジャズ研! [日々着眼時々思案]
自分がやるべきこと [日々着眼時々思案]
子どもの頃の夢 Part 3「果たして自分は夢を達成しているのか?」 [日々着眼時々思案]
子どもに聞く最もティピカルな質問の1つ、「大人になったら何になりたい?」たいていは成りたい職業を指す質問です。僕は以下のように変遷して行きました。
●小学校低学年…プロ野球選手。田淵だぜい!→
●小学校6年…国鉄総裁。鉄っちゃんだし。東海道線の駅名全部覚えた!→
●中学生…田宮二郎みたいなパイロット。山本陽子みたいな彼女がいるのがミソ…(爆)→
●高校3年…建築家。清家清の違いのわかる男みたいな。あのCM見て東工大6類(清家さんは当時東工大教授)受けました(超爆)→
●大学1年…雀師(ウソ)→
●大学3〜5年…ジャズマン→
●ホントになっちゃった32年間!!→
●現在…卓越したカブ栽培農家(激爆!)
というのが僕の人生での「成りたい人(職業)」の変遷です。
しかし、こういう風に考えると、本田さんとかイチローさんとかはやっぱりビックリしちゃいますね。もうこの変遷矢印がない人生なわけです。何てったって小学校の作文が「セリエAの10番」。僕は「国鉄総裁」(だいたい国鉄ないし…笑。でもこの作文、なかなかだったのよ。田中角栄の日本列島改造論みたいなことを6年生が書いてるの)。
それは置いといて、大学3年生からの「音楽を生業としてそれで食う」「好きな音楽を自分の表現として実現する」って意味でのジャズマンという夢(?)に関しては、前者はいまのところは何とか成し遂げてるし(今後はわからんです…怖)、後者は、充分僕はやってると思ってます(もちろんいつまでも精進は続くし、やりたいことも変わる。でもいままでやってきた音楽で僕は悔いのない表現はやっているつもりです)。そう考えるとよい人生なのでしょう。だいたい、人生にいわゆる上司がいたことがない、ってのも考えてみてすごい(笑)。全部自分の選択です。だからストレス少ないんだろうな…。
僕は30歳くらいの人生色々♪真っ盛り(笑)だった頃から「人間万事塞翁が馬」が座右の銘になりました。あまり詳しくは書きませんが、僕の考えの基本は、自分が行った人生の選択が良かったか悪かったかは根本的には判断できない。ただその選択の結果は潔く受け入れる、というものです。そういう精神性になれば、自己を否定することも、他人を羨むこともなくなります。怒ることもほとんどない。
僕はVALISというバンドを始めた頃、相当メジャーになって売れるつもりで、夢と希望に溢れていました。海外とかにも行きたかった。でも、それはまあ達成はしなかった。だけど、それも人生です。何かが僕には足りなかったんでしょう。もちろん僕のモチベーションもあります。でもホントに好きなことはやった。それは僕にとってよかったことです。だから、塞翁が馬人生観の僕にとって、夢破れて残念なんてことはまったくありません。
そして、40歳くらいのときに自分が何か行動(特に仕事)するときの原理、価値観を自分で整理しました。これはエッセイ
「ジャズの壁を超える100のアイディア」にも書いた
「Q95 仕事へのインセンティブ」です。演奏、創造、仕事、名誉、伝達、金銭、勝利、協力、愛、くつろぎという10個のインセンティブを考えてみたんですね。こうやって自分のやっていることを分析すると何か問題が起きたときに心を平静に保つことができるようになりました(詳しくは本読んでね…笑)。
要は、いまのところ、実に好きなことをやり続けている、って人生なんですね。本当にありがたくラッキーなことです。
これが、僕へのクリスマスプレゼントってことだな。
来年も「人間万事塞翁が馬道」精進いたします!
ジャズの壁を超える100のアイディア (jazz guitar book Presents)
- 作者: 布川俊樹
- 出版社/メーカー: シンコーミュージック・エンタテイメント
- 発売日: 2010/06/02
- メディア: 単行本
子どもの頃の夢 Part 2「ジムホールとジャズギターな僕」 [日々着眼時々思案]
子どもの頃の夢 Part 1「ビートルズとロックな僕」 [日々着眼時々思案]
大鵬さんを偲ぶ [日々着眼時々思案]
皆さん今晩は。たまには音楽とまったく関係ない記事書きましょう。
僕のまわりの投稿で大鵬さんのこと書いてる人がいない。OLD相撲ファン少ないのかなあ。僕は完全に巨人大鵬卵焼き世代です。で、子供の頃、卵焼き以外は好きじゃなかった。基本、天邪鬼アンチ1位の性格なんだな。でもそれはまあよく言う裏返しだったのかも(読売にはそういう感情はないと思いたい…笑)。
小学校低学年時代は一本気な感じの「剛」の柏戸関を応援した。取りこぼすから優勝できないんだけどね。柏鵬時代って言ったって優勝は確か5回。でも2人の直接対決では相当均衡していたと記憶している。
その後、北玉時代になって引退間近だった頃は大鵬関を応援するようになった。実は何かラテンっぽい感じの色男系北の富士が一番好きだったんだけど(友達に超玉の海ファンがいて恥ずかしくて隠してた…笑)、北の富士は安定相撲の玉の海になかなか勝てない。
一番印象に残ってるのは、玉の海関に本割りと決定戦で連勝した最後の優勝。フレキシブルな相撲で型がないジャズ相撲!と言われた大鵬と右四つの盤石の型の玉の海。本当に力の入る2番だった。
今日の告別式の王さんの弔辞よかったなあ。新年会でヨッパラって大の字になって寝ちゃった話。酒豪で有名な2人の偉人の大の字。頻繁に行われるしょーもないジャズマンの寝落ちとはかなり違う(笑)。謹んでご冥福をお祈りいたします。
P.S…亡くなった我が父は、相撲の場所中になると、テレビの前に何時間も座って「テレビ桟敷」を決め込んで飲んでた。大鵬好きだったっのかなあ…。ジャズ相撲はウソです(すんません)。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sumo/news/CK2013013102000165.html
古い奴だとお思いでしょうが… [日々着眼時々思案]
実は、メッセージなしで知らない人に友達リクエストを送る人っていうのは全体の割合からいうと僅か。多数の人は知らない人に友達リクエストしていない…。
というような仮説を立てると、知らない人にメッセージ送る人はガンガン色々な人にリクエストを送っていてイチイチメッセージ送ってられない。ある種ジャンクメールか飛び込み営業に近い(笑)。
でも、それによって、友達リクエストする人の9割がメッセージなし、という現象があたかも起きているように見える。それが続くと、皆がそれを常識だと思って、メッセージなしが常態化して世の中の礼儀が失われて行く。とも考えられる??