安藤具隆さんを偲んで [個人的案件]
ジェフベックの追悼記事も書きたいと思っているのですが、その前に僕としてはこれです。
昨年暮れ12月25日、一番古くからの自宅レッスン生徒でオンラインサロン会員の安藤具隆さんがお亡くなりになりました。享年57歳。あまりに早いご逝去、寂しく悲しく残念でなりません。
彼を最初に教えたのは何と約30年前、それこそVALIS 2枚目あたりの頃だから一番古い生徒でした。それから転勤とかあって数年前からまたレッスンしたり、サロンに参加してくれたりしてたわけです。
彼は間違いなく布川俊樹研究第一人者でもありました。僕の様々なプレイをトランスクライブした譜面研究ノートは全4冊にも及び、レッスンではいつもその「感想戦」みたいなことをやっていました。もう僕がどのようにミスしてどうリカバーしてるか(あるいはできてないか)彼にはバッチリお見通しだったことでしょう。
訃報は、納浩一&布川俊樹オンラインサロン合同忘年会があった12月26日昼間、下丸子ラミノアのマスター平川さんが知らせてくれました。平川さんと安藤さんは新日鉄の会社での繋がりがあって、ラミノアでライブやるときは彼はいつも来てくれていました。僕はあまりのことに呆然としていたのですが、忘年会ではしばらくそのことは伏せて、中盤にさしかかったあたりで彼の訃報を忘年会参加者のサロンの方々に伝えました。皆衝撃だったことでしょう。その日来ていた人たちは、その僅か2ヶ月前10月の納浩一&布川俊樹オンラインサロン藤野ジャズキャンプで彼と会っていた人たちばかりだったのです。安藤さんは10月の合宿では元気に2日間最後まで参加していました。夜中に一緒に部屋呑みしたのが想い出に残っちゃった…。
彼が亡くなったことを語って、急遽「Departure」を追悼演奏したのですが、もう僕は涙で全く演奏できなくなってしまいました。かなり酔っ払っていたことはありますが、あんなことは長い音楽人生で初めてでした…。その後は泥酔して覚えていません。
翌日27日の午後になって彼の大学友人の方から「奥さまが僕と連絡を取りたがっています」というメッセージがありました。電話をしてみるとその日に急遽お別れ会があるってことでした(告別式は正月開けに近親者だけでやると仰ってました)。16時終了ということで、レッスンを1人中止して小平へ車を飛ばして行って来ました。ギリギリ間に合ってお顔を拝見することはできました。近しい年代の友人を送るのはいままで数回ですが、全く現実感なくただ手を合わせるだけでした。
奥さまは弔問者への対応でお忙しそうでしたが、ちょっとだけお話しました。もう何を言っていいんだか全く言葉が出なかった。11/24に膵臓ガンが発覚して1ヶ月で亡くなっちゃったってこと。何という突然のことでしょうか…。
ただ一つだけ、合宿のときに彼が病気を隠してたんじゃなかったことには救われました。多分「心底楽しめたんだろうなあ」と思います。
最後に彼が5年間に渡ってリーダーとしてバンド運営を行っていたという Sound Palette Jazz Orchestraでの素晴らしい写真を紹介いたします。バンド代表(講師)の富山さん(tp)の許可を得て掲載しております。
彼の人柄が滲み出ているようないい写真だなと感じました。
改めて、謹んでご冥福をお祈りいたします。
安藤くん、ありがとうな…。
コメント 0