もう秋ですが (2021年夏の想い出) [個人的案件]
そしてレコーディングは大成功。素晴らしいCDができました。
●中村民江「Lyrics Of My Heart」発売!
https://nunosan.blog.ss-blog.jp/2015-08-05
●2015年夏日記 Part 3 「広島の Super Lady 中村民江!」
https://nunosan.blog.ss-blog.jp/2015-09-22
●とっしー先生、民江さん結婚式
https://www.facebook.com/toshiki.nunokawa/posts/1348999755135498
●2018年春ジャズ渡世人「ひとりたび」絵日記(トッシー先生還暦パーティー)
https://nunosan.blog.ss-blog.jp/2018-04-17
●2018年晩夏ジャズ渡世人のタビ
https://nunosan.blog.ss-blog.jp/2018-09-25
湘南日帰り小旅行 [個人的案件]
息子の卒業、就職の祝いということで、3/11に湘南日帰り小旅行をして来ました。ここまで大事もなく健康で生きてきたことにただただ感謝です。生きていく者は自分のできるやるべきこと(ミッション)を全うしていこう、と10年前に思った気持ちはいまも変わりません。
このような人生をここまで送れていることを感謝して、今後も生きていきたいと思っています。
4月からの新年度、色々な意味で節目、新たな自分史が始まると思っています。記念に写真を残しておきます。
鎌倉でランチ
権五郎神社までブラブラ。途中、黙祷。
長谷寺。ひょっとしたら初めてだったかも。花に心洗われました。母、親友、大震災やコロナなどで無念の死をとげた沢山の方々に祈りを捧げました。
七里ガ浜に移動してサンセット。すごいヴォリュームのパンケーキと紅茶。
由比ヶ浜のお蕎麦屋さん。最高でございました。
母の死と追悼演奏「Departure / VALIS Quattro Live In 福井」 [個人的案件]
皆さま、こんばんは。本日は 4月18日(土)に亡くなった我が母、布川智壽恵(ちずえ)を送り出して来ました。
母は、昨年11月11日に介護施設で腸閉塞を起こし病院に運ばれました。誤嚥性肺炎も起こしていました。それ以降、入院してからは、急に弱ってかなり会話が難しくなりコミュニケーションができませんでした。こちらが喋ることはわかるようなのですが、ほとんど発声して答えることができない状態でした。僕が最後に会えたのは、2月中旬の台湾に行く直前。帰ってからは、コロナで見舞いは出来ず、母も寂しかったと思います。
そして、先週土曜日4時半くらいに病院から危篤の電話があり、車を飛ばして15時過ぎには着いたのですが、死に目に微妙に遅れてしまいました。でも完全に生きてるように見えて思い切り話しかけたから聞こえてたかもしれませんね。聴覚が最後って言いますからね。
現在の僕は、大学のリモート授業&レッスン、布川俊樹 JAZZ GUITAR オンラインサロンなどの準備に追われてて、プータローなのにめちゃ忙しいときですが、手帳にはほぼ何もスケジュールは書いてなかった。こういうときで本当に良かったと思います。ツアー中とかそういう事態もあり得たわけで。
母は結構好きに生きてました。最後はちょっと寂しかったけど、旅行が大好きで世界の色々なところも行ったし、良い人生だったと思ってます。実は亡くなる3日前くらいに、僕の家族と妹家族 6人からのメッセージをお医者さんに渡して、読んでもらうことをしたんです。
最後にコミュニケーションできて良かった。あと、息子としては、先に死なないでよかったな。
昨日通夜、本日告別式は、こういうコロナの状況もあって、僕と妹家族だけの家族葬という形で送り出しました。生前は色々御厚誼を賜わり、どうもありがとうございました。
母の遺影の前で、「このコロナ時代をガンバって生き抜くぞ!」と誓いました。
62年間どうもありがとうね。
以下URLは、昨日の朝、自分としては相当ガンバって編集した母に捧げた追悼映像です。
Departure / VALIS Quattro Live In 福井
この「Departure」という曲は1998年2月28日に父が亡くなった直後に捧げて作った曲です。初演はVALISの六本木ピットインでのライブでした。その年の秋に僕と古川初穂は LAレコーディングに飛びました。この曲は、そのアルバムのタイトル曲にしました。
昨年5月29日の福井のライブでのアンコール曲ですが、天上で父と再会することを願って、この曲で母を送り出すことにしました。
是非、聴いてくださいね。まさに「布川俊樹のブルース」になっていると思います。
台北観光 [個人的案件]
● 2/22(土)


大竹くんがホテルに来て屋台で典型的な台湾食。午後は40分くらい地下鉄に揺られて、台北近郊の名所淡水へ。なんか昭和気分の観光地です。江ノ島みたいな感じ。台北に来て思ったのは、建物がとにかく古い(これは東南アジアに行っても思うことですが)。それが懐かしい感もあって僕は居心地良いんですけどね。ぶらぶらした後はちょっと高台のカフェでゆっくり。
さて、九份はかなり山にあるのですが、瑞芳という駅まで行ってそこからタクシーで山に登って行きます。
次回、ライブの模様に続きます。
2018年還暦長ーい夏休み静養 [個人的案件]
こんにちは。久々のブログアップデイトです。夏休み宿題絵日記遅れ出しの気分ですね(まあFacebook投稿を日記でまとめただけですが)。8/1のVALIS還暦記念ライブを無事終えて、8/6~18までは約2週間の完全休暇でした。
とは言っても…(苦笑)。
●8/6(月)
夏休み初日満喫中。今日から2泊3日の弾丸旅行。小6以来の高級ホ……ル ランチ(嘘は言ってません。あ、高級は違うか…汗)。まあゆっくり読書でもします。
午後の読書終了。8月だからって訳じゃないけどこんな本。紛争解決請負人、大学教授、ジャズトランペッターでもある伊勢崎賢治さんの本を読んでみたかったのだ。ブログとかがイチイチ面白くて、何か膝を打つ感じだったから。この4人の対談でも僕的には断然彼に共感。
実は伊勢崎さんは息子が行った大学の教授で、入学したときに「面白いから授業取ったら」って言ったら大学院の方だった。残念!で、ビックリしたのが伊藤真っていう人。山尾志桜里が僕と同じ高校だったのは知ってた。で、彼女は若い頃伊藤真塾で学んだらしい。エッ?てピンと来てググッてみると……。
伊藤さん、同級生であることが判明。図抜けて頭も性格もよくて有名だったよなあ。
2泊3日のプチ旅行楽しい。こんなにのんびりなの久しぶり。明日は食事なしなのでこれが最後の晩餐。普段あんまりスイカ食べない人だけど、今日は頂きました。
●8/7(火)
朝9時から全身麻酔での手術です。実は僕は若い頃の自分のある体験と父の最期の病院での臨死体験状態を見た経験から、全く科学的ではないけど思ってることがあります。
死後の世界と言われてるものは存在する。これは、人間の代謝スピードから起きるのではないか?という仮説です。代謝が変わって脳内の時間感覚がまったく変わることによって、死に至る時間が永遠のように引き伸ばされる…。そのときに色々な無意識が脳内に溢れ出る。だから、悪いことはできないんだよね。無意識が地獄を作り出す(笑)。まあ、サイコパスはどうだ、即死だったらどうだとかはあるんだけど…。で、今回の全身麻酔でそういう桃源郷に行けるのではないかという期待があって楽しみにしてたんです。手術室までの移動は新鮮でした。完全に上を向いた状態で運ばれると、視界は狭いし上下の感覚がなくなる。無影灯はとても美しくて、セシルテイラーのジャケットのようでした。
全身麻酔開始。「すぐ寝ちゃいますからね」「えっ?だいぶ意識あるんだけど」と思った瞬間………
手術終了。桃源郷は全くありませんでした(苦笑)。寝落ちと同じ完全に無の世界。僕の仮説は実証されず、ガラガラと崩れ去ったのでした(残念…嘆)。
手術後は点滴のみ絶飲食でベッドから動けません。絶食はともかく、何も飲めないのはキビしかったです。SNSは料理写真ばっかで見るもんじゃないですね。結構酒が飲みたいって思ってた僕は多分元気だったんでしょう。
●8/8(水)
プチ旅行初の朝食。全部食べた。24時間ぶりの水、激ウマ!!
本日帰還します。しばらく発声禁止なんだけど、気がつくと独り言。あと看護師さんに急に声かけられるとダメ(苦笑)。
お昼に病院から帰宅。体重計に乗ったら何と減ってない。点滴ってスゴいんだな。ビックリ!
これから約1週間無言無酒で過ごします。
●8/10(金)
今週は自宅で無言無酒の静養です。あと1週間くらいはダラダラ過ごすつもり。こんな夏休みは初めて、還暦リセット充電ですね。
しかし、こんなにたくさん美味しい水をレザール誕生日パーティーで頂いたのに一滴も呑んでないって(涙)。
●8/13(月)
ブログで確認してみたら、7年前震災の年にMacBook Airを買いに行って、携帯紛失。iPhone 4sを同時購入してました(ちなみにその前のPCも7年前)。iCloud生活が始まって驚いたものでした。本日遂に Newヴァージョン導入して、数々のID&パスワード地獄を珍しくさくさくクリア、データ移行作業中。何とあと13時間40分って!!USBケーブルで繋いだ方がいいのかな…。
以下は前回購入時のブログ記事。読んでみるとつくづく進歩のない人間だと思います(苦笑)。
https://nunosan.blog.so-net.ne.jp/2011-10-27
●8/16(木)
夏休みももう少しで終了。この休みは色々ジャズギター聴きましたね。今後の参考にしよう。新たに精進です。
アダムロジャース、いままでもう一つ僕にはフックがなかったんだけど、「Rogers&Binney」は完全に脱帽。凄すぎ!ジェシヴァンのビッグバンドとやってるのもよかったな。モダンジャズギターの完成形って感じ。あと、もうただただ凄い音楽家ジュリアンレイジ。ギター界のキースジャレットのよう。マイクモレノは自分的には発音(弾き方、アーティキュレーション)がピンと来ないところはあるけど、楽曲とかかなり面白い。しかし、僕より歳下のギタリストは誰を聴いても信じられない巧さ。カートの流れはそんなに僕はintoできないけど、ジュリアンレイジは完全に別世界。爺にもピンと来る弾き方。
●8/17(金)
今日はカラッとしたワイハーみたいな気持ちいい天気ですねえ。2週間夏休みラス前。部屋片付けながらずっと偉大なアレサをかけてました。改めて、アトランティックソウル(20代の頃、彼女やオーティス、ウィルソンピケットとか色々アトランティックソウルのアルバム集めて聴いてたなあ…)、80年代R&Bっぽいやつ…、どれをとっても素晴らしい。上がる&グッと来る!コーネルデュプリーらしきギターもカッチョいいよなあ。
あと、FBで沢山あったライブ映像の中で今朝観た、オバマ夫妻とキャロルキングが観てる前でYou Make Me Feel Like A Natural Womanをピアノから始めて歌うやつ。3年前70歳越えててバッチリ!生涯ずっと現役だったってことだよなあ…。あの映像、あまりにキャロルキングっぽいMCの方がキャロルを演じていてビックリしたけど、ググったらそういうミュージカルやってる人でした。謹んで御冥福をお祈いたします。どうもありがとうございました。
さて、自分の話を。術後は昨日病院に行って、取りあえず普通に喋ってよいということになりました。お酒は今週から1杯づつくらいチビっとやってます。
●8/18(土)
いよいよ夏休み最終日。母を施設から実家に連れて行って妹家族と団欒。僕の還暦祝いと息子の成人祝いってところでした。甥っ子が、ギターめちゃ上手くなっててビックリ!何と息子と2人でパープルのBurnを完コピ演奏セッション(ドラムの息子はカホンを叩きました)。20歳くらいの彼らの音楽のテイストが爺と共感できるもので嬉しいねえ(笑)。写真はユウちゃん。いつも癒されます。明日からガンバロー!
御心配頂いた皆さま、どうもありがとうございました。

ジャズ・ギターの金字塔 基礎/コード・ワーク/ソロ/スタンダード曲 (CD2枚付)
- 作者: 布川 俊樹
- 出版社/メーカー: リットーミュージック
- 発売日: 2018/09/25
- メディア: 楽譜
Golden Week & More [個人的案件]

VOICE OF BLUE 舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅
- 作者: 高内 春彦
- 出版社/メーカー: リットーミュージック
- 発売日: 2017/04/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
晩秋の高尾山 [個人的案件]
GW還暦前竹馬の友ガキの集い [個人的案件]
17年ぶりの父親(後編) [個人的案件]
父親が家族に話す若い頃の話の大半は、海軍兵学校時代の話だった。入学して初めて先輩方と顔を合わせたとき、自分の名前を思い切り大きな声で叫ぶ。どんなに大きな声でも「声が小さい」と言われて最初に殴られる。その最初のエピソードに象徴されるあまりに辛く厳しい生活に、「自由になれるのはトイレの中だけだ…」と秘かに涙したみたいな話も聞いた。
父親の号泣するところを1回だけ見たことがあった。僕が小学生だった頃(だと思う)ふと家で流れていた太平洋戦争の番組。特攻隊の話で回天の話になったとき、急に泣き崩れた。「ワタシの青春はこれだったんだ」と叫んで…。あんな姿を見たことは後にも先にもあのときしかなかった。
しかし、そういう苦労話を話しながらも、明らかに父親は海軍士官(卵だったが)であることを誇りに思っていた。常にことあるごとに、「海軍では…」とか「仕事は戦いだ」とかいうのが口癖だった。
前編で書いたように、父親は社長にはなったが、商才はまったくある感じではなく、個人の信用と能力だけで生涯仕事をして来た人だと思う(ちなみに我が家はまったくお金持ちとかではなく、僕が小4のときまでは6畳4畳半の2Kのアパートに家族4人暮らしだった)。会社は最終的には数人の会社に縮小してほとんどの仕事を1人でやっていた。ドル建てでお金をもらっていたから、プラザ合意以降はかなり苦しい台所事情になったのだ。仕事を家に持ち帰り、ほぼ休みなしに昼間は働いていた。唯一の楽しみは、日曜昼間にどこかにブラブラ歩きに行ったりすることと(小学生時代はよく連れて行ってもらった)、晩酌つきナイター観戦、相撲自宅桟敷だった。「お酒を飲まなかったら聖人君子だな」とよく大笑いしていた(ヨッパラったときに相当危ないことをしてるのは僕と同じ…笑)。そう言えば、酔うとやけに陽気で、各国の広報会社が集まる会議などでは、「お笑いクラブ(英語で何と言うんだろう?)」を結成していたらしい。そういう外国の仕事関係の人としゃべるときの方が饒舌で冗談も言うからビックリしたものだった。90年代に入って仕事をやめるときは、ボーイングシアトル本社で送別パーティーをやってもらった。母と夫妻でファーストクラスを取って招待されるという超ビックリ待遇だったのだが、さすがにそのときは両親は喜んでいたな。人望があったんだと思う。
さて、話を江田島に戻そう。写真で見てください。それはそれは素晴らしい場所だった。
門を入るとまず大講堂。
取りあえず昼メシは海軍カレー。
何か昭和の普通の定食屋っぽくて懐かしい味(笑)。
大講堂の中。大正時代の建造物だけどすごい造り。