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晩秋の高尾山 [個人的案件]


昨年からずっと行きたかった場所、高尾山に昨日(11/18金曜)行ってまいりました。ホントはGWに多摩丘陵に行った中学旧友連中で行きたかったんだけど、まあスケジュール合わせも大変だし、休日はかなりの混みが予想されるからね。

ということで単独トライです。

自宅は7時過ぎに出ます。登戸〜分倍河原〜高尾山口。南武線って下りだと思ってて甘く見てたけど、かなり混雑。僕は高校生時代以降ほとんど朝の混雑電車に乗っていない。何てありがたい人生なんだと改めて実感。まあ、音楽家になりたいと思った一つの理由は「混雑電車通勤が絶対イヤ!」だったんだけどね(爆)。まあ、僕の子供時代の通学小田急線、井の頭線、山手線、とにかくとんでもなかった。

あ、関係ないですね(笑)。

8時半前には到着。

いきなり気分上がる!
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電車の後ろには後のお楽しみ情報が。駅前じゃん!
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大した下調べもしてないから地図チェック。一番基本の一号路で。
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真言宗智山派本山薬王院の入り口でもあります。
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登山開始。こんな感じ。なまったオヤジにはそれなりにキツイ。
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しばらくはこんな感じが続きます。紅葉はなし。
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カブは色々好きです(笑)。
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まずはケーブルカー、リフトの終点に到着。新宿方面を望みます。
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ここからは紅葉写真をどうぞ。
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僕的にはベストな写真!
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薬王院
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息子の大学入試合格祈願中心に
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晩秋の高尾山単独登頂の偉業達成です!
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もみじ台っていうのに行きたくなって。
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さて、下りよう。行きはトニック(一号路)、帰りはサブドミナント(四号路)。何事も変化が大切です(笑)。
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マウントビア(夏期はビヤホールがあるらしい)で至福の昼下がり。
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腹減ったからリフトで降ります。
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このリフト、ケーブルカー乗り口あたりも紅葉は充実してますね。
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必ず地元の名物を食べたくなるミーハーな奴です。いろんなところでとろろ蕎麦あったけど、外構えを見てここへ。紅葉屋。なかなか旨かった。でも、店出て参道降りたら他にもよさげなところ結構あったけど(笑)。
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さて、温泉直行と思いきや面白いところを発見して迷い込みました。ラブホテルの隣にある似たような建物(苦笑)。こちらは愛の迷宮ではなく古代エジプトの迷宮。
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トリックアートミュージアムでした。こんなところに一人で来る58のおっさんはあまりいませんな(笑)。一人だと写真があんまり面白くないです。いままでの写真、ほとんどダマシ絵で、平面です。
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高尾山は天狗山!
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美術館を出るとこんな感じ。
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そして最終目的地。これがなくてはいけません(笑)。
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いやあ、最高の一日でございました!!



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GW還暦前竹馬の友ガキの集い [個人的案件]


こんにちは。3連休最終日。皆さんいかがお過ごしですか?

本日は日本全国こどもの日!こういうときは童心に帰った投稿をいたしましょうね。

2016年GWは、この3連休が僕の唯一の休みでした。その中日は竹馬の友で盛り上がることに…。まあ還暦をあと2年後に控えたオヤジ達の集いですな。朝9時に小田急多摩線はるひ野駅に集合。7時頃までは絶望的な雨風だったのに雲ひとつない超快晴!日頃の行ないがよいってことです。

この企画、昨年末に僕が「今度皆で高尾山登ろうよ」と言ったのがきっかけ。つい数日前まではGWに高尾山という無謀な企画(ほとんど初詣の明治神宮状態だったことでしょう)も画策されていたのを、数々の友人関係ツアーコーディネイターをつとめて来たAくんが見事に代案を出して急遽決まった多摩丘陵フットパス巡り(この言葉初めて知りました)となったわけです。

しかし、実に素晴らしい企画。強風だから暑くない、GW中日にガラ空き!約13km程度のコースで我々素人にもちょうどいい(と言っても今日身体のふしぶし痛いけど…苦笑)。Aくん、コース選択完璧!どうもありがとう!

それでは当日の絵模様です(これは我々ガキ仲間にとって、かなりメイドのみやげになる写真集ですな…爆)。


はるひ野駅。何と電車で20分で来られます。駅前コンビニで飲み物とおにぎり買って出発!
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実はこの近く、車でよく来るんですよ。
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でも裏の里山はこんなルートになっていたわけです。
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ABコンビ!
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恵泉女学園のすぐ近く。ヤケにその話で盛り上がったクソガキ達でした。
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元気なBちゃん。
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香ばしい薫りがすると思えば…
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小野路。宿場町です。
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おー!!
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いい写真だねえ。天気最高だし!
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小山田緑地公園
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いい感じですなあ…。
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Aくんずんずん登ります。
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美瑛とかみたい…。
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登りきるとこんな眺め。遠くに富士も。
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ここで食べたコンビニおにぎりはいままでの人生で最高の旨さでした(何故か写真が回転できない…嘆)。
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これも何故か回転できない吊り橋写真。
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唐木田駅到着。足がボーっとしてます。約4時間の行程。
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栗平のスーパー銭湯でビール!
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夕方新宿に到着。初めて南口バスターミナルあたりを
ブラブラ。すげー観光地。完全に外国に思える(笑)。
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これも何故か回転できず…。
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夜はFくんも参加。
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最高に楽しい1日だった。長時間だからかなり色んな話もできるしね。ジャズ渡世人の生き方について語ったり、ゴルゴ13にいかに影響を受けたか、とかね(笑)。

ちなみに、今回の場所は東京都町田市。いやあ、近くに素晴らしいところがあるもんです。

さて、明日から仕事だし、地元の旨ーい焼肉屋に行こうかな…。




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17年ぶりの父親(後編) [個人的案件]



父親が家族に話す若い頃の話の大半は、海軍兵学校時代の話だった。入学して初めて先輩方と顔を合わせたとき、自分の名前を思い切り大きな声で叫ぶ。どんなに大きな声でも「声が小さい」と言われて最初に殴られる。その最初のエピソードに象徴されるあまりに辛く厳しい生活に、「自由になれるのはトイレの中だけだ…」と秘かに涙したみたいな話も聞いた。

 

父親の号泣するところを1回だけ見たことがあった。僕が小学生だった頃(だと思う)ふと家で流れていた太平洋戦争の番組。特攻隊の話で回天の話になったとき、急に泣き崩れた。「ワタシの青春はこれだったんだ」と叫んで…。あんな姿を見たことは後にも先にもあのときしかなかった。

 

しかし、そういう苦労話を話しながらも、明らかに父親は海軍士官(卵だったが)であることを誇りに思っていた。常にことあるごとに、「海軍では…」とか「仕事は戦いだ」とかいうのが口癖だった。

 

前編で書いたように、父親は社長にはなったが、商才はまったくある感じではなく、個人の信用と能力だけで生涯仕事をして来た人だと思う(ちなみに我が家はまったくお金持ちとかではなく、僕が小4のときまでは6畳4畳半の2Kのアパートに家族4人暮らしだった)。会社は最終的には数人の会社に縮小してほとんどの仕事を1人でやっていた。ドル建てでお金をもらっていたから、プラザ合意以降はかなり苦しい台所事情になったのだ。仕事を家に持ち帰り、ほぼ休みなしに昼間は働いていた。唯一の楽しみは、日曜昼間にどこかにブラブラ歩きに行ったりすることと(小学生時代はよく連れて行ってもらった)、晩酌つきナイター観戦、相撲自宅桟敷だった。「お酒を飲まなかったら聖人君子だな」とよく大笑いしていた(ヨッパラったときに相当危ないことをしてるのは僕と同じ…笑)。そう言えば、酔うとやけに陽気で、各国の広報会社が集まる会議などでは、「お笑いクラブ(英語で何と言うんだろう?)」を結成していたらしい。そういう外国の仕事関係の人としゃべるときの方が饒舌で冗談も言うからビックリしたものだった。90年代に入って仕事をやめるときは、ボーイングシアトル本社で送別パーティーをやってもらった。母と夫妻でファーストクラスを取って招待されるという超ビックリ待遇だったのだが、さすがにそのときは両親は喜んでいたな。人望があったんだと思う。

 

さて、話を江田島に戻そう。写真で見てください。それはそれは素晴らしい場所だった。

 

門を入るとまず大講堂。

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取りあえず昼メシは海軍カレー。

何か昭和の普通の定食屋っぽくて懐かしい味(笑)。

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大講堂の中。大正時代の建造物だけどすごい造り。

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赤い絨毯はワタシたちは踏むことはできない。
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父親が日々暮らしていたレンガ棟。現在は自衛隊幹部候補生学校だ。こんな綺麗な建物で暮らしていたとは…。
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廊下現象。
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建物の中に入ると…。
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鏡もあった。父親は76期生。
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稲田司令を囲んで。
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松はやたら真っ直ぐ。
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建物内は撮影禁止の教育参考館。
ここに数々の海軍の資料が残されている。
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これは2人乗りです。
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この写真は?
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絵画のよう…。
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海側に来てみた。実はこちらが海軍兵学校の正門だそうだ。
卒業式には、ここから学生が出航して行く(現在の自衛隊でも)。我が父もここから入ってここから出て行ったわけだ。
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今回案内してくれた市川士官。
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このボートはカッター。
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古鷹山。父が毎日見ていた眺め。
眺めている余裕があったかどうかはわからないが…。
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iPadのレンズに収まらず。
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いかがだったろうか。僕は父親の聖地を4時間くらいゆっくり歩きまわって、あまりのその美しさに相当驚いた。稲田司令の話では、大講堂もレンガ棟もほぼ当時のまま残されているという話だった。しばらく歩いているうちに晴れ上がり、山と海を望む風景もそれはそれは美しいものだった。

僕は、歩く場所すべてに若き日の父親が見たものを感じた。ここを訪れた日は術科学校の卒業式前日だった。在校生は講堂の掃除を行なっていた。70年前も当然そういうことが行なわれていただろう。

そして、福田重男→山本造船社長さん→稲田司令という繋がりがあったからこそ起きた感動的な出来事があった。稲田さんが「布川さんという兵学校出身の方のご子息が来るから調べておいて欲しい」と先ほどの写真の参考館の館長さんに連絡を入れておいてくれたのだ。

父親は昭和19年(1944年)入校の76期。参考館で相当丁寧な説明を受けた約2時間の最後に、その父が写っている写真を見せてもらったのだ。稲田司令の「その写真もらえないの?」の一言で、

何とコピーして頂くこととなった!

実は、先ほど参考館の前で僕が持っていた写真がこれだったのだ。最後列、壁が黒くなっているところの右から2番めが16歳の父だ。
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当時の話を色々聞くと、父親が入学した当時の校長先生は歴史に残る海軍軍人の井上成美さんだった。彼は、当時アンチ英語教育に傾いていた国策の中で英語教育を重要視した人だったそうだ。敵を知るには当たり前のことだろう。そういったことが、父親の英語道にも繋がったのかもしれない、みたいな話にもなった。父のマインドのすべてを形成したのはこの地だったと僕は思っている。それは、後に仕事をするときにも常に支えとしてあったはずだ。

江田島のあまりに美しい風景と建物を歩きながら、僕自身も父から連なる脈々としたものをひしひしと感じたのだった。僕はもちろん海軍修行のような厳しい体験をしたことはない。でも父を好きだった、尊敬していた点、そして自分もそうありたいと思っていることは…

ミッションを全うしたい、という考えが常にあることだ。

軍隊においてミッションとは、まずは上官のルールを絶対守ることだろう。それを徹底することによって強靭な精神力が鍛えられる。軍人にならなかった父が民間仕事を始めてからは、自分のミッションを全うするということに人生が変わった。そのマインドは息子である僕はいつも感じていた。

僕もジャズ渡世人として、日々の小さいミッションを常に全うしようという気持ちだけは持っている。だからゴルゴ13大好きだしね(爆)。ちなみに、父が亡くなって半年後に僕の息子は生まれた。そのときに作ったアルバムが、父と息子に捧げた「ディパーチャー」だった。僕は父が僕にしてくれたことと同じようなことを自分の息子にしたいと思ってずっと彼と接して来た。

斯くして…


この初めての江田島訪問の日は、僕にとってここ数年で最も感動的な日となった。


17年前1998年3月、父の出棺の挨拶の最後に、彼の好きだったサントリーレッドをラッパ飲みして「いってらっしゃい」と叫んで送った。


そして2015年3月、僕は亡くなった父親と17年ぶりに再会したのだった。


稲田司令、山本造船社長、そしてそんな縁を作ってくれた盟友福田重男に心から感謝いたします。




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17年ぶりの父親(前編) [個人的案件]


 

父親が大好きだった。

 

親子関係は色々あるけれど、僕は素直に父親を尊敬している人間だ。色々な意味で影響を受け、そのマインドを受け継いでいると自分では思っている。

 

父は、外資系の会社で複数の海外会社の広報の仕事をしていた。メインはボーイングやスイス航空。米国人の社長の下で働き、その社長の死後は社長を引き継いだ。広報の仕事だから、日々日本のニュースを翻訳して本社に送ったり、その逆も多々あったようだ。御巣鷹山事故を始めとする飛行機事故(子供の頃、父が飛行機事故があるたびに急に出勤したりメチャ忙しくなっていたのを覚えている)などでは針のむしろの立場でもあったんだと思う。

 

そんなことを書くとバリバリのビジネスマンをイメージするかもしれないけど、僕の見る父は全く違った。彼は求道者だった。何の道かと言うと、英語である。仕事の必然で英語はペラペラだったが、彼はいつも朝6時前には起きてNHKの基礎英語、続基礎英語、英語会話っていう3種の神器を毎日聞いていた。ルティーンになってたんだと思う。僕が毎朝6時にスローテンポでメジャースケール練習するようなもんですよ(笑)。社長になっても金勘定的なことはまったく興味なくて(カブ栽培にハマる僕とは大違い…笑)、大学を出て確定申告し始めた僕が税金指南したくらいなんだから。税理士に相談すりゃーいいのに…。日々読む本は仏教の宗教書とかだった。合気道は3段。頼まれて大先生の合気道本を英訳した。

 

大学卒業間近の頃、僕がプロギタリストになりたいと言ったとき、母はすごく寂しそうで、それをうまく説得するフレーズを僕は懸命に考えたが、父は何も言わなかった。「好きなことをやればいい」という風に言ったと思う。


僕は子供の頃父にホントによく遊んでもらった。当時の3種の神器は何かな?野球、相撲、ボクシングってとこかな(プロレスが好きになってバカにされるのがイヤで黙ってた…笑)。音楽にはまったく造詣はないけど、やけにモーツアルトは好きだった。


そんな父の精神的な故郷であり、聖地である場所を昨日は訪れたのだった。江田島海軍兵学校である。


今回のツアーは12本連続ライブの後、福田重男氏の友人、呉で造船会社社長を営む山本さんのお世話になることになっていた。呉駅前にあるヤマトミュージアムの1/10大和を造った人だそうだ。こんな人が友人にいる僕の盟友はホントにすごい(笑)。仕事をするっていう話もあったのだが、結局オフ2日間となった。僕は、千載一遇のチャンス、と思って、海軍兵学校のある江田島に行きたいと提案したのだった。そうしたら、すごいことになった。山本さんの友人で元自衛隊上級士官で何隻もの艦長を勤めた稲田司令が江田島を案内してくれるというのだ。元々はこの方の退官記念パーティーで福田氏が演奏したのがこの繋がりのきっかけらしい。

 

初の呉、駅前ホテルからの眺め。

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初日は仕事もしないのに、あまりに贅沢な飲み会。

ミルガイの肝って初めて食べた。旨し!

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さっきの鯖がみそ汁に。締め。
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こいつらだったのね。 

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もう一丁!
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2日めはロビーに9時集合。何回かこの地に来ている海軍オタクの福田氏と待ち合わせて大和ミュージアムへ。

 

呉の駅前からほとんど数分で到着。kure7.JPG

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これが1/10大和!全長27m。
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回天…。
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かなりの雨。
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2時間ミュージアムを堪能して、稲田司令と落ち合った。ほとんどもう最高な御方。若い頃は南極に2回も行って犬にも遭遇したらしい(笑)。まったく気取りなくよくしゃべる。面白いのは、僕たちより10歳以上歳上で、ものすごい偉い方なのに、福田氏はほとんどタメ口。「オレさー、~なんだよねえ」みたいな感じ(笑)。さすが巨匠だ…。

 

最後に記念撮影。

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稲田司令の車に乗り込むと、何と福田氏のカバンがない。ついに福田氏もツアーでヌノリ菌が感染したか。一瞬前のことを瞬時に忘却する強力なウィルスだ(笑)。さっき映画を見ていたシアターに忘れていた。

 

さて、江田島は呉から車で行くとかなり離れている。ぐるりと回って行く感じで、40分以上は掛かると思う。

 

いよいよ江田島到着。天気は悪いが、何かひなびた素敵な眺め。

牡蠣の聖地でもある。

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そして、ついに海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校(2つの学校が敷地内にある)に到着した。海軍兵学校の跡地にできたものだ。いよいよ、父の若き時代の最もコアな部分を探訪することとなった。


(後編に続く)



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竹馬の友、元気一杯! [個人的案件]


おはようございます。連続で私的な記事だけど、これも記録に残しておこうかな。今度は嬉しい話です。

大病から1年余中学時代からの竹馬の友、ベンがメチャ元気になって帰って来ました。嬉しいなあ。術後の治療、仕事への復帰、ホントに大変だったと思いますよ。

この日は、ベンと彼の盟友と言っていいギャッチョンの3人でリーマン聖地の新橋でホルモン祭りでした。

名物レバ焼きバター
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気持ち悪いとか言われることもあるんですが(苦笑)、中学時代の同級生6人がやたら仲良くて毎年忘年会やったり折につけて会ったりしています。

最近やけに高松に行くようになったのは、そのうちの1人アクネが赴任していて営業してくれるから(感謝!)。次回は3/12に福田重男とデュオ&ジャムセッションです。何とそれに合わせて彼のコーディネートで、ベンとお医者さんのフクシマが四国旅行することも決定しちゃった!ほとんどガキの頃みたいな展開でビックリです(笑)。高校時代の頃、アクネとフクシマと僕でよく集まってジャズのLPを聞いたんだよな。フクシマがマッコイタイナーの2枚組ライブアルバム「エンライトゥンメント」をカセットテープ切り貼りして繋げて持って来たのは感心したもんです。そんな奴だから手術もできるのか(笑)。

ちなみに、この記事での登場人物はその6人のうちの5人。あとターフルっていう世界を股にかけて活躍する日経新聞とか載っちゃうビジネスマンがいるんですけどね。

人生後半に入ってこういう展開も楽しいもんです。


ギャッチョンからプレゼントをもらって御満悦のベンと
たまにはマッコリタイナーなワタクシ。
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燃えるホルモン男、ミスター.テスタテロン!!
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皆、まだまだ元気で行こうな!!



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金ちゃんさらば… [個人的案件]

 

昨日「金ちゃん」が亡くなった。息子が6年間育てた金魚だ。

 

6年前の地元の祭りの金魚すくい。3匹の金魚がウチに来た。飼いたいという息子に僕は反対した。小学校低学年のときに、ザリガニを取って来てまったく世話せず、僕がたまにエサをやりながら「お前が面倒みるって話だったろ。何でお父さんがエサやってるんだ!こっちはいないときも多いんだからとにかく毎日様子見ろ!」と言っていた。ある日見てみるとひっくり返ってた

 

珍しくかなり僕は叱った。「お前は2度と生き物を飼うな」と。あまり叱っても泣かなかった息子がそのときはかなり泣いた。

 

小学校5年生になった彼は「金魚は絶対自分で世話するから」と強く言った。そこまで言うのならということで、ちゃんとした水槽を買って金魚を育て始めた。3匹は金、銀、銅と名付けた。色々研究したようだ。何かあると、熱帯魚に詳しい義弟によく電話して聞いていた。ドジョウや貝とかも入れたこともある。

 

時が経つに連れて、金魚の大きさは 4: 1: 2くらいになった。金魚すくいの頃とほとんど体型が変わらない「銀」が好かれるのは判官贔屓か(ちっちゃくて可愛かった笑)。エサはなるべく「銀」めがけて入れるのだが、すぐ「銀」は「金」に追い払われる。大きさの差は生存能力の差、小さい順に亡くなって行き「金」が残ったのだった。

 

彼は6年間完全に独力で金魚を育てた。高校受験の日の朝も水槽を掃除してから出掛けていったのにはビックリした。

 

空になった水槽を見ると少し寂しいが、息子は大変よくやったと思っている。

 

合掌…。

 

2015年2月15日記

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代々木ゼミナール [個人的案件]


代々木ゼミナール縮小のニュースは隔世の感を禁じ得ない。

 

小学生の頃、地元野球チームの試合に代ゼミからそのまま行った。何かイヤだったな…。

 

高校のときは2つくらいクラスを取ってたけど、ほとんどさぼってた(これは懺悔。さぼってた理由は秘密)。ハイクラス数学テストゼミっていうのがあって、0点を取った。両親に笑って見せたらやたら暗いムードになった。そりゃそーだ。親の立場になるとわかる(笑)。でも自分では、受験勉強のスケジュールはあって、全然やってないところだったからまったく気にしてなかった。0点受けると思った(アホ!)。親はそんなのわかりようもないからね…。

 

僕は音楽家になって33年だが、卒業して1年くらい経って、仕事がなくなって1年強バイトをした。塾講師(数学)ってやつだ。そこでは相当やる気ない先生だったけど(これも懺悔)、その仕事仲間で仲良くなった奴がいた(国語講師)。彼は同年代でロックとギターが大好きだった。当時大学院修士で作家志望、ジャズミュージシャンを生業としたい僕とはやたらウマが合ってよく仕事帰りに飲んだ。音楽や小説はもちろん、たわいもない話でいつも盛り上がった。

 

彼は作家にはならず、そのすぐ後に予備校講師になった。代ゼミだ。トップとは行かないまでも彼はかなり売れっ子になって日本全国を飛び回っていた。やけに羽振りがよくなって必ずおごってくれるようになった。彼は自分の身入りをギャラと呼んでいたが、人気講師になると売れっ子スタジオミュージシャン以上の稼ぎになっていたようだ(当時の感覚で)。彼は沢山のギターを買っては僕に使ってくれって言ってよく貸してくれた。僕がファーストアルバムを出したときは本当に喜んでくれて、「授業で宣伝してやったぞ!」とか言ってた。僕を応援することが楽しそうに見えた。

 

90年代後半になって彼は仕事が減って来たようだった。業界の厳しい生存競争の話も聞いた。一方僕はその頃から音楽仕事が軌道に乗った。寂しい話だが、その頃から彼とは疎遠になった。数ヶ月にいっぺんくらい夜中に電話をして来るのが何年か続いた。で、あるときから音信は途絶えた。最後に話したときはかなり酔っていた。

 

今世紀に入ってからはまったく連絡は途絶えている。少し噂も聞いたが真偽のほどはわからない。何にしても遠い処に行ってしまった。作家やってるのかな……。

 

あいつにはとても感謝している。



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東京工業大学ジャズ研大OB会写真館 [個人的案件]


2/1(土)の楽しそうな楽しそうな絵模様です。

写真は僕のまわりの世代で大学時代に直接お世話になった先輩方のものが多いです。写っていないたくさんの方々、ごめんなさい。

中延ボナペティー
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ちあきと席決め。
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西尾、布川、ちあきでまずは前祝い!
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橘高幹事長到着!
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現役学生にギター借ります。
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ダキスト抱えて御満悦。
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上田(左)と西尾カメラマン
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めちゃくちゃ久しぶり、雀友の山下(右)と清水から来た生田さん。
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彼も実はOB。約10年後輩のキーボードプレイヤー、
大活躍の新澤健一郎!!
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幹事長御挨拶。
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メチャ懐かしい。1年生のときにバンドをやらせて頂いた
4年先輩横山さん(左)。激上手のサックス!当時は
迷惑かけました(笑)。いまはアメリカはコロラドで
研究所所長さん(何の研究所か忘れました…爆)。
そして松重さん。入学したときの部長さん。シブいベースでした。
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今回の最長老。素晴らしいお話を聞かせて頂きました。
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重鎮席
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仲良かった人たち。2年上のベース三吉部長(左)。いまでもライブ
よく来てくれます。1年下のトランペットとっつぁん。
宴会隊長でした。彼とインチキエレクトリックマイルスバンド
を学祭でやったなあ…。
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現役学生、カンパ資金集めに燃えます。いや、素晴らしい
演奏!
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この方はすごい方です。
以前のOB会会長で今回もたくさんの協力を仰ぎました。
某有名大会社の副社長さん。実は去年ワタクシたまたま
カブ買ってたんだよなあ(笑)。
こういうのってすごい…。
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布川、学生演奏講評です。いやはやそのレベルに驚いた!!
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そして大口純一郎大先輩との初デュオ
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実は緊張してる(笑)。
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大口さん。素晴らしい音色とタッチ。
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この写真いいな…。
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こんなところにカメラマンが…。
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あー、無事終了。ちあきと語る。
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大口さんOB会会長就任!!
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大先輩と2ショット。何故か縦が横に(涙)。ブログ編集ページで
回転させてもうまく行かない…。
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メチャクチャお世話になった直近の先輩たち。
左から3年先輩ベースの郡さん、しょっちゅうマージャンで
しごかれた。上がるときにロンカーターとか言いながら
人の牌を倒すからやたらビビる(メチャクチャだ…笑)。
暴走族軍団(笑)のドラマー2人は、入学後最初にバンド
で一緒だった1年上の足立さん、そして2年先輩中越さん。
そして一緒にハンコック研究したピアノの橘高さんです。
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最近はギタリストでも大活躍の後輩後藤(左)。スーパー
テクニシャンで入部して来たときはびびりました。
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締めは全員集合!!
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無事終えてホッ…。かなりヨッパです。
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幹事団お疲れーー! プラス次回OB会仕切りの後輩アルト久保田。
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外へ。かなり後輩のベース辻(左)。
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もう千鳥(笑)??
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今回の会があったのはこの2人のおかげです。大感謝!!
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ありがとうございました!
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滝澤さん、どうもありがとうございました [個人的案件]


本日、滝澤謙治さんに最期のお別れをしてまいりました。

滝澤謙治さん、享年58歳。
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色々なところで書いて来ましたが、僕が音楽が面白くなった、プロとしてやろうと思ったのは滝澤さんとの出会いがあればこそでした(以下URLは以前書いたブログ記事)。


もう少し想い出話をしましょうか…。


今日告別式からの帰りに東工大ジャズ研1年先輩の橘高さんと話してたんですが、滝澤さん(ds)と後閑さん(p)という昭和大学の2人が東工大の部室に現れたときの衝撃は忘れられません。たぶん僕は2年生。いままでの人生で一番練習していた時期でした。ところが、いくら練習しても自分の思うように弾けない。部室でのセッションやバンド練習はいつも苦痛で(悔しくて悔しくて。負けず嫌いでやっていたようなもんです…笑)。ところが、この2人と演奏したら、初めて本当に演奏が楽しかった。僕は滝澤さんの美しいシンバルレガートに乗って何弾いてもサウンドした。要するに弾かされたんだな…。あー、気もちよくスイングしてれば、何弾いてもいいんだ。と初めてわかったときでした。

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それから僕は音楽することが楽しくなりました。3年のときのジャズ研定演コンサートのときに、以前のブログに書いた目指せVSOPバンドをやった。そのあたりからです。僕がプロの音楽家を意識するようになったのは。

滝澤さんはホントにいつも演奏、そして人生を楽しんでいた。今日の弔辞にもありましたが、何をやっても素晴らしかった。ゴルフも相当なものだったらしいし、スポーツカーを乗り回して…。

もちろんお医者さんとしては、IVR(http://www.jsivr.jp/people/people_idx.html)のパイオニアだったということです。お通夜、告別式ともものすごい数の病院、学会関係者が参列しました。ドクターとしての滝澤先生の功績の凄さが実感できました。

でも、僕の主治医としてはお茶目だったな。最近は学会で海外など飛び回ってあまりにドクター仕事が忙しくなってしまったから診てもらうことはなかったけど、まだ大学外の病院にも勤務してた頃はよく胃カメラや検査とかやってくれました。「なかなか胃カメラうまいんだよ」とか言いながらやってくれる。確かに入ったこともよくわからなかった。それで「布川見る?」とか言ってリアルタイムで自分の胃を見せてもらった。ガンとかあったらどうすんだろ。まあ綺麗でしたけど(笑)。ちなみに、僕の父のガンを発見したのも滝澤先生。母もお世話になりました。

とにかく、音楽だけでなく主治医としても大恩人だったのです。本当によくしてもらった。

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そんな滝澤さんがスキルス性胃がん(http://www.sya64.com/)にかかってしまったのが2年以上前。手術してその後抗がん剤治療などを行っていたわけです。でもはた目には滝澤さんはあまりに元気に見えた。あの明るさで、もうホントに治っちゃったって思ってたんですね。学会で飛び回る、ライブはやる、ゴルフはやる、お酒も飲む…。

でも今回奇跡は起きませんでした。昨年暮れに意識不明となって、病院に運ばれた。何か12月はライブもやってたらしいんだけど…。僕が病状を知ったのは2/9奥沢リトルジャイアントのセッション。その翌日、お見舞いに伺ったときはもう面会できる状態ではありませんでした。いま思えば、本当にまだ会えるときに会いたかった。

2月18日永眠。

亡くなってから、お宅に線香あげにいったときさえ、まだ実感がありませんでした。お通夜のときも涙は出なかった…。

でも今日柩に入れる贈る言葉を書いてたら、もうたまらず、それからはずっと号泣になってしまいました。彼の盟友である昭和大教授後閑さんも弔辞でつまっちゃって、それも泣けましたね。

滝澤さん、後閑さんとお医者さん仲間のジャズ演奏の映像をアップしておきます。


また泣けます(笑)。

今週3/6(水)からのトリオツアー、生き残ったものの使命としてミッションコンプリート目指して音楽ガンバります。滝澤さんに捧げた「天空の滝」ってオリジナル曲があるんですよ!


最後に、柩に入れさせて頂いた贈る言葉で僕の追悼の言葉とさせて頂きます。


滝澤さん、どうもありがとうございました。

いまの僕はあなたの存在なくしてありえません。

またセッションしましょう!

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感動の鉄道の旅「釧路〜根室」 [個人的案件]

 

皆さん、今晩は。またまた連続アップデイト。極端ですいませんです。

 

今回は11/24(金)晩秋の根室で書いた日記をアップロードいたしますね。

 


「根室にて」

 

今日は生まれて初めて来た東の最果ての地、根室のホテルにいます。 

 

3時半過ぎには日が沈む場所。 

 

昨日の札幌くうでの布川俊樹北海道トリオライブを終えて、明日根室でのマルタさんと森口博子さんのジョイントコンサートを前に今日は移動日でした。札幌から釧路までは特急スーパーおおぞら。根室には特急が行かない(最初時刻表で知ったときには愕然としました…笑)ので釧路で花咲線鈍行に乗り換えます。総行程6時間半の旅です。 

 

でもね、この日が楽しみだったんですよ。僕は子供の頃はとにかく鉄道ファン。鉄ちゃんにも色々あるみたいだけど、僕は時刻表愛読と何系とか色々覚えるのが好きでした。だからかなりの地方行っても駅名知ってたりする。 

 

ところが、特急での移動時は前日の楽しい楽しい最終日打ち上げがたたって約2時間半の爆睡。起きたら一面帯広ウシウシ世界。それもなかなかに楽しかったんだけど…。 

 

クライマックスが待ってました。釧路から根室の鈍行列車2時間。 

 

何と1両編成!もちろんディーゼルです。 

 

まずは山間部に入って行きます。最初は座ってたんだけど、やけに警笛鳴らすので運転席の横に行ってみたんですね。何と、鹿の群れが線路上にいるのを警笛で退かしているわけです!!もうそれからはずっと運転席に張りついちゃった。ほぼ2時間立ってましたね。 

 

かと思うと海が急に視界に開けたり…。感動したのは厚岸湖。快晴の天気、線路と白鳥の湖が織りなすコントラストが溜まりませんでしたね。また根室が近づくに連れ、右側には牧草と崖、海の風景。鹿が草を食んでいる。あれも良かったなあ。以前テレビで見たアイルランドの風景みたいだった。刻々と変化する風景はまるで遊園地のよう。でもリアルなんです!3時半くらいに根室に着いたんですけど、ホントにこの時間の列車にしてよかった。これより後の列車だと暗くなっちゃうからね。 

 

しかし、線路をずっと眺めてると何でこんなにグッと来るんだろう。 

 

僕は鉄道ファンだったけど、子供がアタマの中で色々想像を巡らしているのが好きだった。実際にたくさんの鉄道に乗ったわけではありません。こうやってそれがリアルな体験になるっていうのは相当の感動。いままでの鉄道乗車でベストでした。 

 

よかった。

 


釧路駅で乗り換え

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山岳鉄道のような趣き

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たくさんんの鹿の群れが線路上に。写真は撮れず(残念)。

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海が眼前に現れた

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厚岸の手前

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感動の厚岸湖

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白鳥の湖

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運転席から見ると

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よくこんなところに線路敷いたよなあ…。人間の底力を感じます。

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あっ  とこ

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こんにちは。またね!

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根室近し!牧草地と海と崖。

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3時半の夕日

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ここは記念写真でしょう(笑)。

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またいつか。今度来たら納沙布岬に行こう。





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