17年ぶりの父親(前編) [個人的案件]
父親が大好きだった。
親子関係は色々あるけれど、僕は素直に父親を尊敬している人間だ。色々な意味で影響を受け、そのマインドを受け継いでいると自分では思っている。
父は、外資系の会社で複数の海外会社の広報の仕事をしていた。メインはボーイングやスイス航空。米国人の社長の下で働き、その社長の死後は社長を引き継いだ。広報の仕事だから、日々日本のニュースを翻訳して本社に送ったり、その逆も多々あったようだ。御巣鷹山事故を始めとする飛行機事故(子供の頃、父が飛行機事故があるたびに急に出勤したりメチャ忙しくなっていたのを覚えている)などでは針のむしろの立場でもあったんだと思う。
そんなことを書くとバリバリのビジネスマンをイメージするかもしれないけど、僕の見る父は全く違った。彼は求道者だった。何の道かと言うと、英語である。仕事の必然で英語はペラペラだったが、彼はいつも朝6時前には起きてNHKの基礎英語、続基礎英語、英語会話っていう3種の神器を毎日聞いていた。ルティーンになってたんだと思う。僕が毎朝6時にスローテンポでメジャースケール練習するようなもんですよ(笑)。社長になっても金勘定的なことはまったく興味なくて(カブ栽培にハマる僕とは大違い…笑)、大学を出て確定申告し始めた僕が税金指南したくらいなんだから。税理士に相談すりゃーいいのに…。日々読む本は仏教の宗教書とかだった。合気道は3段。頼まれて大先生の合気道本を英訳した。
大学卒業間近の頃、僕がプロギタリストになりたいと言ったとき、母はすごく寂しそうで、それをうまく説得するフレーズを僕は懸命に考えたが、父は何も言わなかった。「好きなことをやればいい」という風に言ったと思う。
僕は子供の頃父にホントによく遊んでもらった。当時の3種の神器は何かな?野球、相撲、ボクシングってとこかな(プロレスが好きになってバカにされるのがイヤで黙ってた…笑)。音楽にはまったく造詣はないけど、やけにモーツアルトは好きだった。
そんな父の精神的な故郷であり、聖地である場所を昨日は訪れたのだった。江田島海軍兵学校である。
今回のツアーは12本連続ライブの後、福田重男氏の友人、呉で造船会社社長を営む山本さんのお世話になることになっていた。呉駅前にあるヤマトミュージアムの1/10大和を造った人だそうだ。こんな人が友人にいる僕の盟友はホントにすごい(笑)。仕事をするっていう話もあったのだが、結局オフ2日間となった。僕は、千載一遇のチャンス、と思って、海軍兵学校のある江田島に行きたいと提案したのだった。そうしたら、すごいことになった。山本さんの友人で元自衛隊上級士官で何隻もの艦長を勤めた稲田司令が江田島を案内してくれるというのだ。元々はこの方の退官記念パーティーで福田氏が演奏したのがこの繋がりのきっかけらしい。
初の呉、駅前ホテルからの眺め。
初日は仕事もしないのに、あまりに贅沢な飲み会。
ミルガイの肝って初めて食べた。旨し!
2時間ミュージアムを堪能して、稲田司令と落ち合った。ほとんどもう最高な御方。若い頃は南極に2回も行って犬にも遭遇したらしい(笑)。まったく気取りなくよくしゃべる。面白いのは、僕たちより10歳以上歳上で、ものすごい偉い方なのに、福田氏はほとんどタメ口。「オレさー、~なんだよねえ」みたいな感じ(笑)。さすが巨匠だ…。
最後に記念撮影。
稲田司令の車に乗り込むと、何と福田氏のカバンがない。ついに福田氏もツアーでヌノリ菌が感染したか。一瞬前のことを瞬時に忘却する強力なウィルスだ(笑)。さっき映画を見ていたシアターに忘れていた。
さて、江田島は呉から車で行くとかなり離れている。ぐるりと回って行く感じで、40分以上は掛かると思う。
いよいよ江田島到着。天気は悪いが、何かひなびた素敵な眺め。
牡蠣の聖地でもある。
そして、ついに海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校(2つの学校が敷地内にある)に到着した。海軍兵学校の跡地にできたものだ。いよいよ、父の若き時代の最もコアな部分を探訪することとなった。
(後編に続く)
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