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東で思うこと [日々着眼時々思案]



今晩は。1日2回、続けてのアップデイトです。まあ西と東で続きになっていると思ってください。

 

今年度最後の記事かもなので、来年度に向ける締めの言葉ですね。

 

前回のブログの最後に書いた僕の友人Aとは、とても有意義な2日間を過ごすことができました。子供の頃のように色々なことを話した。彼とは中学2、3年同じクラスで、僕がビートルズのLPを5枚くらい彼に売ったことが交友の始まり。売ったお金はハードロックのLPに変身。その後、彼とは性格も結構違う気がしたけど(でも実は近いところがかなりある)、それこそ40年近い友人関係が続いています。まさに大親友です。子供の頃、僕は理系でちょっと斜に構えた感じであまり真面目な奴じゃなくて若干ひねた感じ、彼は文系で(陳腐な二元論ですんません)もっと真っ直ぐな感じで○○委員に立候補したりするような奴。それでメチャクチャがんばる(不真面目な連中からは若干鬱陶しい感じ…笑)。僕も声が大きいけどAはもっと大きい(笑)。でも、何かずっとウマが合って、文学(その趣味がまた全然違う…笑)や音楽について語り合った仲。特に大きかったのは、中3になって聴き始めたジャズ。僕がマイルスのベスト版を最初に買って、それにハマった2人は、絶対ダブらないようにLPを買い集めたのでした(後にもう1人加わってそれが大学時代くらいまで続いた)。

 

彼は、僕とは別の高校、大学に進学して卒業後は大手商社で働いています。サウジアラビア駐在など世界を飛び回っていま高松にいるわけです。その彼がいまやっている仕事はエネルギー。「水素・燃料電池戦略」です。だから今回の問題にも深い造詣があります。って言うかすごい奴なんだよね。読書量はハンパじゃなくて歴史の先生みたいだし、人間としての気迫がすごい(笑)。今回の原発問題、東京のエネルギーなどについても僕らミュージシャンに、わかりやすく教えてくれました(感謝)。

 

 

 

2人で話して色々思ったことを整理してみると…、

 

●原発による放射能問題に関しての僕の態度

 

基本的には僕にとっては最重要課題ではありません。僕は専門家ではないし、その情報を全部こと細かく追っかけている余裕もない。大体あまり細かい部分に行ったら判断できない。

 

ただ、明らかにわかること。この問題をより深刻に捉えているのは、神奈川県川崎市在住の僕より福島県住人だということ。一番すごいのは現場作業をしている職員やレスキュー隊員。そんな方々がおられるのだから、僕は基本的には普通に生活する。それはなぜか、僕には選択肢がないからです。放射能の量を心配したとして、何か選択肢があれば、西側に行くとかそういうことも視野に入れられるが、僕は諸事情からそれはできない。僕の人生観と判断では、そんなことをする(避難する)方のリスクの方が圧倒的に高い。ということは心配する必要がない、という考え方に僕個人としてはなる(他の方の考えは知りません)。

 

ただ、最悪のことが起きた場合(全部の核燃料が溶融して水や空気にダダ漏れする、あるいはチェルノブイリのような大爆発する)にどう行動するかは考えておく。それは自分のためではなく、息子のためです。

 

●そして今後の日本に願うこと

 

最近たまたま読んだ、「日本辺境論」の内田樹さんと精神科医名越康文さんの対談本「14歳の子を持つ親たちへ」で日本は極限まで我慢してグチャグチャな状況になってようやく力を発揮するみたいなことが書いてあったのね。明治維新、太平洋戦争、そして今度の大震災、焼け野原みたいにされてようやっとドラスティックな転換が起こる。今度のことはあまりに想定外(笑)の天災だったけど、その前の政治その他の体たらくだって財政状況だって瀕死だったわけです。でもいつもウダウダしてて変わらなかった。TPPはいまどうなってんだ(笑)?

 

だから、今度のことは対処療法的な感じではどうしようもないと強く感じています。長年言われ続けて来てできなかった、東京一極集中(これによって日本全体のリスクヘッジがまったくできてなかったってことだったわけです)の回避、地方分権、この未曾有の危機となって今後立ち直るためにやらねばならないことなのではないでしょうか。

 

友人Aなんかも会社の機能を移せるものは西に持ってくるよう、社で訴えているよう。まったくその通り、国に頼っててどんな感じになるかは今回の出来事で皆がわかったことだと思います。民間もどんどん元気の残る西側に移動できるところは移動できるようやる。単身赴任だってありです。ダンナが東、家族は西、これは安全を重視した考え方です。その逆だってあります。西で稼いで東に送る。これは経済を重視した考え方です。何にしても東側の人口を西側にシフトして行く。そのためには仕事や住宅を西側に作って行かなければいかない。もうメチャクチャな大手術です。

 

もちろんいま言われている東側のサマータイム導入案やら就業時間をずらしたりとかそういうのもどんどん考えたらいい。でも東側に3.11以前の生活が戻ることはしばらくないでしょう(戻すべきかどうかということも考えてもよいです)。この暗い街もなかなかに僕にとっては子供の頃の郊外みたいで懐かしい(笑)。

 

個人(もちろんミュージシャン含む)だって西側に行ける人、故郷が西の人は行ったらいい(恥ずかしがる必要など皆無です。その方が日本全体のためです)。残念ながら、東側はこれから2年くらい(あるいはそれ以上)この人口を支えるエネルギーのキャパはないでしょう。実際のエネルギーも人の遊興エネルギーもない(笑)。特に厳しいのは夜の商売。皆でサバイバルになります。ミュージシャンも当然その範疇の人種です。

 

ホントにいま日本は分断されちゃったんですよ。あまりに象徴的だよね、この60Hzと50Hzの問題は。「フォッサマグナの壁」ができた。

 

そんな厳しい状況だけど、やっぱり僕は東側で生活して音楽をやって(西側に出稼ぎには行くことでしょう…笑)、お気楽人生観と空元気でパーっとやって行く!これが僕の持ち場であり、MISSION POSSIBLE(笑)! なんだと思うわけです。ガンバリますよ!それで起きたこと、今後起きたことは受け入れる精神性を持つ(それが目標、そのためにガンバる)。これこそが僕がずっと言い続けている「人間万事塞翁ヶ馬」の本質です。

 

あともう一つあるか。義援金(モノを含む)。この大震災復興にはうん十兆円って言われてる(1〜3くらいまでで僕にはわかりようもない)。でも仮に20兆円で被災者1千万人強としましょうか。そうすると1億1千万人強の人達が被災者を助けるわけです。まあメチャ大雑把に言えば復興にいくら掛かるかだってわかんないんだからお一人様20万出せばそれくらいの金額が日本中で集まります。3人家族だったら1世帯60万。すごい額ですよね。でも、そういうものなんだ、という意識を持って皆が募金に協力すれば自ずと出て来る額も違うでしょ?無理して出したい人は出せばいいし、無理しなくてもいいし、自分が日本の中でのどういう経済的ポジションにいるかを各々が判断して行動することを願います(自分に対しても)。積み立て貯金でもするつもりで、毎月義援金を払ったってよいよね。当然お金持ちはたくさん出してください。収入分布だってパレートの法則みたいになってるんでしょ?、たぶん。もちろん、政府が税金取って金集めてってのもあるけど、募金の方が心意気あるでしょ! ね、某都知事さん、それこそ連帯の気分ってもんですよ。花見の自粛とは関係ない。金取って送った方がよっぽど役に立つ。

 

今回のSJPツアーでは、義援金は総計84,106円を頂きました。ご協力ありがとうございました。佐藤浩一義援金管理担当大臣が責任を持って赤十字に入金しました。お疲れさま!

 

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あと、嵐山光三郎さんが文芸春秋で言ってたけど、お金を持ってるお年寄りの方々、是非お金を使ってください(笑)!!経済活性化と義援金にね。

 

 

以下は、今朝友人Aから僕ら中学同級生の同報メールで来たものです(6人くらいで中学からずっと友人関係が続いている!若干気持ち悪いって説も…笑)

 

 (友人Aからのメール)

芸術は爆発だったので あとは虚脱でした。昨日あたりから実務に戻って仕事してます。今回の大震災でエネルギー政策も抜本的見直し。そのなかで我々の分散発電と水素が織り込まれるか?

過去10年近くやって来た私の戦いが正念場を迎えるかも知れません。

 

何で直島なのか?瀬戸内の綺麗な風景が工場の煤煙や廃棄物の山で荒廃。ゼロから現代アートを中核に蘇り世界中のセンスの良い人達を惹き付けて止まない。今から日本中でこれをやらなければいかんでしょう。東北にも宮澤賢治や井上ひさしがあるいは遠野物語があるし素晴らしい自然の景観があるのだから。間違っても巨大防波堤のコンクリートで埋めつくす防災都市にはしてほしくない。

 

今が考え直すチャンスだと思う。日本の国は元来自然と巧みに共棲して来た歴史がある筈。里山を作って水源にミネラルを蓄えてから水田を作るとか、利根川の流れを上手く付け替えて江戸を100万都市に育

てるとか。大阪だって昔は<掘割>水の都だった。災害対策だって、江戸の火消しは火元の家を消火するよりもむしろ周りの家を壊して延焼を防ぐところに意を注いだわけです。現代の地震観測技術とIT通信技術を縦横に使い回せば、今回の津波警報はキチンと出せるわけで、防波堤を作るよりも、逃げ切ることが大事。或いは退避できる安全地帯(あるいは退避カプセルの類)を作る方が効率的だと思います。災害は1000年に一度予想を超える形でやってくる。だから来た時のSOFTWEARを確り持って、家は壊れ流されても仕方ないぐらいに腹を括った方が正解では無いかと思う。あとは鉄砲水を逃がす空堀を作るとか?皆で知恵を絞ろう。自由な発想で。既存の概念やシガラミに縛られないで。(ゼネコン&公共投資大好き政治家の連合体だと絶対防波堤を作りたがるだろうな・・・岩手は小沢の選挙区だし)


 

 

まさに劇画世代の同志だと思います(笑)。旧友には最後の仕事だと思ってがんばって欲しいと心から願ってます。

 

ちなみに、今回僕が書いた文章に関しては事実関係など全然裏を取ったり調べたりしてないので、あんまり細かい事に突っ込まないでくださいね。大雑把なコンセプトを書いただけです。

 

 

高松スピークロウでのライブ後記念写真です。写真右端がA君。

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以下はA君が推薦してくれた、水素燃料電池関係入門本です。

 

彼曰く、燃料電池は「水の電気分解の逆反応を使った発電機」ということ。いま世界レベルでインパクトがあるのは「究極のエコカー」という話。2015年に世界8社が同時販売開始するということだそうです。

 

 

トコトンやさしい水素の本 (B&Tブックス―今日からモノ知りシリーズ)

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  • 作者: 新エネルギー産業技術総合開発機構
  • 出版社/メーカー: 日刊工業新聞社
  • 発売日: 2008/06
  • メディア: 単行本

 

 

水素エネルギー読本

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: オーム社
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本

 





西で思ったこと [日々着眼時々思案]


今晩は。火曜朝午前3時に1011日のロングツアーから自宅に帰って来ました。

 

音楽的報告はまたの機会にするとして、取りあえずこのツアーの間で思ったことを。

 

何回か書きましたが、僕は「自分の持ち場」を全うすべく全力で今回のツアーに臨みました。ある種、空元気(からげんき)でもありました。これしか、僕が最も能力を発揮できる場所はない、そういう意識です。あれほどの災害にたまたま襲われれば、基本的には生き残るかどうかは運です。生き残った者には(被災しなかった者もたまたま災害に遭遇しなかっただけの者です)、感謝の念とともに、亡くなってしまった方への、何とも言えないやるせない後ろめたさみたいな気分があると思います。

 

でも生き残った者は自分を鼓舞して自らのミッションを果たすしかないと思ったからです。本当の現場で命を削って自らのミッションを果たしている人がいるのですから。

 

そして10本のライブ(あるいは打ち上げの飲みの席でさえ…笑)で、僕のできることはやり切った感じはあります。嬉しかったのは、各地で僕を待ってくれている方々がたくさんいたこと。そして僕の想いにメンバーや聴き手の方がそれぞれに反応してくれたという手応えがあったこと。西側の方々も、自分のところはまったく普通なのに(乾電池と水はだんだんツアー中に店から消えて行きましたが…)、やはり何となく盛り上がったりするのは後ろめたい、そんな感じが見て取れました。ただ打ち上げで色々話したりライブ中の反応を見ていたりして、彼らも音楽を求めていることがわかった。

 

僕の今回の基本的な姿勢は一環してお調子者です。パーッと行きましょう!色々1人になって思うことはあるでしょう。泣きたいことも凹むことも。こっち(東側)のこれからの仕事状況なんて真面目に考えたら暗澹たるもんですよ。でも空元気で行ける人は行きましょう。ま、行ける人はでいいですよ、無理するこたあありません(笑)。自分の父親が亡くなった頃を思い出すと、僕は彼の影響を多大に受けていて尊敬していたので、しばらくはことあるごとに思い出しては泣けてた。でも宴会だって飲み会だって遊びだって、もちろん仕事だって普通にやってたし(当たり前か…笑)、いわゆる喪に服してたわけではありません。年賀状出さなかったくらいです。そういうことが僕自身としては大切だと思っているわけです。

 

だから西側の人に本当に言いたいのは、イベントとか中止にしないでくださいよ、ってことです。もちろん色々な別の理由とかあるかもしれないけど、もうパッーっと!花見もやりましょうよ。そうやって騒いでたって、ふと被災者や現場で戦ってる人の気持ちを想えば涙する。そういう多面的なもんでしょ、人間は(少なくとも僕は)。自粛マインドは基本的にアカンすよ。全部体力なくなっちゃうよ。

 

今回、高松で40年近くの付き合いの旧友に会いました。僕の著書にも登場する中学生のときにジャズを一緒に聞き始めた男。今回の高松2デイズでは本当にたくさんの人を集めてくれました。コンピラ参りで785段の階段を登り、うどん屋を巡り、バーで語り合い、直島のアートを堪能して地中美術館のカフェでビールを飲んだとき、「生きてるってことはありがたいことだ」と心底感じたのね。40年も近く付き合って、いまこんな素晴らしい場所で2人黙って海を見ながらビールが飲める。こんなことが実現する。映画の1シーンのような2人の背中だったと思います。

 

劇画世代の2人が酔っぱらって盛り上がって語ったこと(笑)。伊勢谷祐介の力石徹を称賛して、その流れで意見が一致した、我々は皆明日のジョーに成りきって、これから泪橋をドヤ街側から未来に向かって逆に渡るのだと!

 

この話、続くかも…(笑)。

 

写真は四国上陸〜直島。

 

 

トンネルを抜けるとそこは…

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初瀬戸大橋!

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途中の島がサービスエリア

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旧友に連れられ、超人気店山越うどんへ

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高瀬君満面の笑顔

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785段を登れば…

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こんぴらさんから街を望む

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布川俊樹SJPは何を祈願する?

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穏やかな時間

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直島のシンボル。赤いカボチャ。ちなみに佐藤君はカボチャが苦手(笑)。

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地中美術館から港へ向かうとき急に雨雲が!

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皆で走って降りました…

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そして夜の打ち上げは…、   G dorian !!

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高松素晴らしい!

 



相撲寂し…… [日々着眼時々思案]

 

 

皆さん、こんにちは。立春でちょっと暖かくなったけど寂しいニュースです。

 

相撲の八百長問題、ついに春場所中止となる模様だ。

 

誤解を恐れず言えば、八百長って絶対バレては行けない。相撲好きの人でも、少なからずや八百長があると思っていた人はかなりいるはず。でもそれが完全に明らかになっているのと、「何となくありそうだけど、よくわからん」では観る側の気分が違う。「八百長あったにしても、やっぱり面白いものは面白いし、相撲というものが好きだ」という人もいるだろう(僕のことです)。今回のことで、公益法人じゃなくなったり、普通の団体になって資本主義的弱肉強食の世界に入って縮小とかそういうことにもなるのかもしれないが、ばれてしまった以上しょうがないとも思う一方、実に残念だ。 

 

熱狂的な好角家とは言えないが、子供の頃から相撲はずっと観ている。父親に何度も連れて行ってもらった国技館も懐かしい。北玉時代だ。大鵬もまだ頑張っていた。そんな時分から見続けてるのって野球と相撲しかないからなあ…。

 

大体、素朴な疑問として、年6場所90日、同門とかある相撲の特殊な環境で全部ガチンコってことが可能なのだろうか?特に思うのは、八百長はいまの力士待遇だったら起こるべくして起こるんじゃないかってこと。十両で月給103万!そんなにあるとは知らずビックリ。それで横綱282万っていうのは少なくないかい(って白鵬は優勝賞金1年6000万あるし、タニマチとか考えたらもちろん違いは俄然大きくなるんだろうけど…)? それで、幕下はゼロ!(これは知ってた) 

 

これさ、仮に十両下位で「幕下戻るくらいなら危険なことでも八百長した方がまし」的なノリになっちゃうんじゃないの?ちなみに三役を見ると約170万。何か番付による月給額の違いを見ていると、関取になりさえすれば、わざわざ苦労して上に上がらなくてもいいや、って思う力士も多いのではないか、と邪推してしまう。バランス悪くないかい? 

 

あと、海保のときにあれだけ騒いだ権力側リークの話題がネット以外のメディアでは見受けられないのも気になるところではある。

 

 

 

 

 

 

 



どうぞ御自由に(妖怪ジャズフェスティバルの話もあり) [日々着眼時々思案]


今日52歳になった。いまの気分は、どうぞ御自由に(ごじゅうに)。

 

朝からダジャレ失礼しました。でもホントそうで、基本的に50歳過ぎて「柳に風」「人間万事塞翁が馬」「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」的なフレキシブルなマインドは一層強くなっています。自分に対しても人に対してもね。まあ、細かくは私の書籍で読んでください(笑)。

 

しかし、ずいぶんと年輩になったもんだと改めて実感します。先週7/24(土)の鳥取県境港で行われた妖怪ジャズフェスティバル。4つのバンドが出演しました。その中で僕は上から5番目の歳。僕より年上は日野さん、マルタさん、ポンタさん、金沢さんだけですからねえ…。学生の頃のパーティー仕事とか除けば、初めての仕事は大学5年め1981年夏。ということは来年で30年になるわけです。自分でもよくやって来たとしか言い様がない。

 

というわけで、今後はいつ死ぬかわからんし、日々を大切にね、と言って力入れてしゃちこばる感じじゃなくて楽にやって行きたいとは思ってます。

 

以下(写真)は妖怪達の宴の模様です。日野皓正さんの圧倒的な存在感、打ち上げパーティーでのジャズの危機に対する想い、責任感には心打たれました。布川俊樹トリオでのツアーの模様は追ってアップいたしますね。

 

ぬのさん52歳、皆様どうぞ御自由にお使いください(笑)。今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

何という凝った弁当

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音楽妖怪達出陣

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盛り上がる

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あれ、本当の妖怪達が…??

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大団円を演奏中に撮る奴は誰だ?

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妖怪が妖怪を撮る

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若きギター貴公子妖怪と

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日本ジャズ妖怪の至宝。圧倒的!!

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お疲れさまでした!

 

 

 



ブログ「音楽人」記事 [日々着眼時々思案]


僕の尊敬する人の1人、しおさい社長石原忍氏のブログ、いつも大変興味深い内容ですが、今回はいつにもまして素晴らしい。

 

http://shiosai.cocolog-nifty.com/ongakujin/2009/02/post-d30f.html

 

氏があげている「世界の終わりとハードボイルド.ワンダーランド」や「愛と幻想のファシズム」に、僕も20歳代に強い衝撃を受けたことは同じ。そういう精神性の土壌の共通性が、10年以上に及ぶ彼との親密な繋がりにもなっているのでしょうか。ちなみに村上龍氏の後者の小説は、僕がいままでで唯一「泣けた小説」です。映画のようなスピード感と臨場感を感じさせる彼ならではでの筆力にやられました。

 

 

http://shiosai.cocolog-nifty.com/ongakujin/2009/02/post-50ce.html

 

そしてこちらは「デュオラマ2」のマスタリング記事。石原氏や納浩一氏のように多角的な考え方を持ち、自らの欲望を意識化して、常にストイックな意志を持って臨んでいる方と仕事をやらせて頂いて僕は光栄です。


 




偉大なお言葉 [日々着眼時々思案]



もう暑さで脳がふにゃふにゃになりながら原稿校正三昧。9月発売目指して金字塔入稿間近です。

さて、あらゆるところで言われ尽くしているような気がしますが、タモリさんの弔辞にはワタクシも感動しました。

”すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。”

何か観てて聴いててちょっと可笑しくてそれで感動する。すごかった。

タモリさんが赤塚第一世代なら僕なんかは第二世代。小学校を少年マガジンで過ごした僕にとっては明日のジョーがマイルス、巨人の星がコルトレーン、天才バカボンはセロニアスモンクです。テレビももちろん毎回観てました(テレビは中学生くらいだったかな?)。とてもよく覚えているのは、「バカボンのパパ」が家へ忘れ物を取りに帰り、土足のまま上がってタンスとか開けたりして家の中をかき回す。それで畳に残る足跡発見。泥棒だって警察やら消防やら来て大騒ぎ。みたいなやつ。オヤジと一緒に大笑いだったなあ…。

その後、ジャズ界の人達との交遊も何か身近な感じがしたし、死んでも血吐いても酒を飲む姿勢とかを尊敬しておりました(何かチャーリーパーカーみたいな気もして来たぞ…笑)。

上のタモリさんのお言葉、僕の理想の境地であります。

ちなみに僕の座右の銘は「人間万事塞翁ヶ馬」。まあ、一般的には良い悪いは長い眼で見ればわからないのだから一喜一憂するな、みたいなことのようですが、僕の解釈はこうです。我々に降り掛かる様々な出来事に対する選択は良い悪いと一概に言えることではない、それは捉える人間、本人の心持ちによって決まる。自分の境遇が不幸と思う人は自分の選択を受け入れられない人です。他の選択だったらもっとよかったかも…、というのはあり得ない仮定、他人の芝生なのです。その選択の道に行かなかったのだから…。その道に行ったら今度は他の道がよく見えるかもしれない。人を羨む人はどの状況でもそうでしょう。

要は自らの心の持ち様。

なんて言うのをずっと思ってたわけですが、「人間万事塞翁ヶ馬」なんて甘い甘い(笑)。こんな小難しいこと言ってるようじゃ要するに何かスノッブ的なしゃらくせー奴です。

赤塚大巨匠は完全に同じ意味のことを誰にでもわかるように決めるわけです。「これでいいのだ」。最高に感動的な科白でした。それはまさにインプロヴィゼーションの極意でもあります(そうはなかなかいかんのよ。我々俗人には…笑)。

謹んでご冥福をお祈りいたします。



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